2012 年のウソと真実

                             前編
                マヤンカレンダーとマヤ暦と歳差運動

                       最古のマヤ暦発見!
                 マヤ暦はまだ5000年先まであった。



                             後 編
                        フォトンベルト編
              マヤンカレンダーもフォトンベルトもNASAが仕掛けた
                 2012年12月22日 米ドルが紙切れになる日

                              に続く



2012年12月21日。間もなく訪れるこの日は、マヤ暦最後の日とされ、23日には地球はフォトンベルトに完全に包まれてアセンションに至ると云われています。
マヤ暦とフォトンベルト。
この二つの話題が偶然一致した2012年の暮ですが、マヤン・カレンダーは本当なのでしょうか? フォトンベルトは実在するのでしょうか?




                マヤ暦2012年12月21日の意味するもの


マヤ暦と云うと、ホセ&ロイディーン・アグエイアス夫妻の「 マヤンカレンダー(13の月:コズミックカレンダー)」で、7月25日を「 時間のない日 」とし、2012年12月21日でカレンダーは終わり、地球最後の日と喧伝されてきました。 しかしこのアグエイアス夫妻のカレンダーには他ならぬマヤ族末裔の長老たちから異論が発せられています。

2008年2月18日、マヤ最高神官の長老:ドン・アレハンドロさんが初来日し、マヤ暦は2012年で終わることはないと発表しました。

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         (中央)アレハンドロご夫妻 (右)会場の様子:主催は浅川嘉富さん

以来、数度に亘って来日、世界中で 「 マヤンカレンダー 」の過ちと真実の 「 マヤ暦 」を説いて回っています。

また地元のメキシコやグァテマラでは、「 13バクトゥーン 13アハウの日 = 2012年12月21日 」を観光に利用していますが、グァテマラのマヤの末裔の方たちが

   偽りや曲解、民族伝承を利得に結び付けようとするのを非難する
   マヤ文化への冒涜だ

と、世界終末説を観光振興に結び付けようとする同国政府や観光業界を批判したと報じられています。( 時事通信 「 今年12月の世界終末説はうそ = マヤ団体が政府・観光業批判 - グアテマラ 」 )

マヤの考え方には、キリスト教的な終末論 ( ハルマゲドン ) はないのです。


アグエイアス夫妻の 「 マヤンカレンダー(13の月) 」とは、1980年代にマヤ族の末裔の一人であるフンバツ・メンから得たマヤ先住民の情報や、1950年代のマヤ文明研究の権威:エリック・トンプソンの文献、そして彼自身のチャネリング情報などを併せて創り出した独自の暦です。つまり「 マヤ暦 」そのものではないということにまず着目する必要があります。

  ※ 先に話を進めるにあたって、
    アグエイアス夫妻の 「 マヤンカレンダー = アグエイアス・カレンダー 」 と
    本来の 「 マヤ暦 」 は別物であるという観点から
    以降、名称もそれぞれ区別して記します。


マヤ文明は、16世紀、スペインの侵略によって滅びます。
コロンブスに始まる大航海時代です。(1492年、新大陸発見)
1562年7月、司祭ディエゴ・デ・ランダは、「 異教徒 」 マヤの文明を破壊し尽くします。
1562年というと、日本では織田信長が画期的な鉄砲戦術を生み出した桶狭間の戦いで今川義元を破った2年後、松平元康 ( 後の徳川家康 ) と清洲同盟 ( 織徳同盟 ) を結んだ年です。
アメリカ大陸にはスペイン国王直下のカトリック修道会 : フランシスコ会が、アジアにはバチカン別働隊の修道会 : イエズス会のフランシスコ・ザビエルが進出し、やがてはイエズス会 : バレンチノ神父も絡んだ織田信長爆殺へと繋がって行きます。

また、マヤ文明を初めてひもといたエリック・トンプソン氏は、当時研究論文が一切なかったためランダ司祭の残した資料を基にマヤの末裔たちから聞いた話を加えてマヤ文字と文明の解読を行いましたが、弾圧されたマヤの子孫たちが本当のことを話すことはありませんでした。
しかもトンプソン氏自身がキリスト教のハルマケドン文明史観からマヤ暦を解釈したため、「 マヤンカレンダー 」はすでにこの時点からバイアスがかかっていたようです。

アグエイアス博士の 「 マヤンカレンダー 」 では7月26日を一年の起点と定めていますが、これはトンプソン氏の解釈であり、7月26日とは本当はマヤでは農業をするにあたっての重要な日であり、マヤの元旦ではありません。 本当のマヤの暦の基点は春分の日の後の最初の満月の日とされています。

先にも書いたように、マヤの考え方には、キリスト教的な終末論 ( ハルマゲドン ) はありません。



                       最古のマヤ暦発見!
                     マヤ暦はあと5000年ある!


また、今年の5月11日には、米ボストン大学などの研究チームが、ガテマラにある9世紀初期のマヤ文明遺跡の壁画に、月や惑星の周期を計算したマヤ最古のカレンダーがあるのを発見し、11日付の「 American Science 」に発表しました。( 産経 iZa!

「 2012年人類滅亡説 」がまことしやかに流布しているが、精査したところ、終末を示すような計算結果は見当たらなかったという。 マヤ最古のカレンダーを精査した研究チームは「 逆に、世界には7000年は先があると考えていたようだ 」としています。


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        グァテマラ北部にあるマヤの主要都市 San Bartolo から8km地点の
              Xultún(シュルトゥン?)遺跡で発見された壁画(上)
                         その再現図(下)


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          北の壁から見つかったマヤ最古の「 Long Count 」カレンダーで
           7000年先(現在より5000年先)までの計算がされている。


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     シュルトゥン遺跡の入口と壁画を彫り出すボストン大学のウィリアム・サトゥルノ博士


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               San Bartolo & Xultún 遺跡の場所(オレンジ点)




この発見によって「 マヤン・カレンダー = ホセ・アグエイアス・カレンダー 」の2012年12月でマヤ暦が終わると云う戯言(たわごと)は完全に息の根を止められたことになりました。




                        マヤ暦と歳差運動


2012年辺りでマヤ暦が終了している理由は、そこから「 時間がなくなる 」というより、オルメカ文明に続くマヤ文明が存続した紀元前後~AD1562年が属する周期を最後に記したとする方が自然です。

マヤ暦の長周期 : 13バクトゥンの1,872,000日は、グレゴリオ暦の365.2425日で割ると5125.36年となります。 エリック・トンプソンのマヤンカレンダー( ホセ・カレンダー )では、グレゴリオ暦のBC3114年8月11日に始まり2012年12月21日で終わるとされています。(21日説と22日説があるようです。)

これはマヤに「 第5の太陽の時代は、 13バクトゥン 13アハウの日 に終焉を迎える 」と云う予言があるところから、エリック・トンプソンの計算で2012年12月21日がとされたものですが、BC3114年8月11日を割り出した基準点を巡って諸説があるようです。 しかしその予言が記されたのが何時の時代で正式にどのように記されていたのかの資料は日本語のWEBでは見当たらないようです。

第5の太陽の時代、つまり13バクトゥンを5回掛け合わせると、

   5125.36年 ✕ 5 = 25,625.8年

これは、地球の歳差運動:25, 920年と近似です。

マヤ文明が歳差運動を正確に読み取っていたかどうかはまだよく判りません。
ミランコビッチによれば、歳差運動は1 万9000 年、2 万2000 年、2 万4000 年の3つの周期の組合せから構成され、また、歳差を作る自転軸の傾斜角も4 万1000 年の周期で22.1 度から24.5 度に振れていて、歳差周期はこれらの組合せで増減を繰り返しています。

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歳差運動とは、地球の首振り運動。
独楽を回すと最初はまっすぐに立ってますが、時間が経って回転エネルギーが低下してくると軸棒が首振り運動を始めます。
この首振り運動が歳差運動なのです。
そう、地球の回転エネルギーが低下して首振り運動が起きているのです。
太陽系にあって、回転エネルギーは内側の惑星から消失していきます。
水星・金星は既に回転エネルギー( 自転エネルギー )を消失したために、水星ではほとんど自転してないに等しい176日、金星では逆回転のー116日で、次は地球の回転が止まる番です。 と云っても今年の12月22日ではなく、数億年、或いは数十億年先の話だと思われますのでご安心を。
下の図は、歳差運動によって北極星が移り変わってきた様子を描いたものです。

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                            歳差運動
                ( 出典 : 星たび・巨石遺跡にアナレンマを見た


図では4000年毎に北極星が入れ替わってきたことを示していますが、歳差運動もまた星座の12宮に振り分けられます。
占星術上の星座の巡りは、春分の牡羊座から始まって魚座で終わりますが、歳差運動に於ける星座は、地球の地軸の首振り運動に伴って春分の際の太陽の位置を云うもので、通常の占星術の星座の巡りとは反対に巡ります。
ですから、魚座の次が現在の水瓶座となっています。
2012年で暦が終わる、つまり歳差運動に伴う大きな周期が終わるとするなら、それは水瓶座で始まり、水瓶座で終わるのでしょうか?
西洋占星術では、山羊座に始まり、水瓶座で終わります。( 通常は牡羊座に始まり、魚座に終わるとされますが、これは春分起点で、本来=古代の冬至起源なら山羊座となります。)

いずれにせよ、マヤ暦の5つの太陽周期が、歳差運動を指し示してるように思われるのは驚きです。
しかもそれが、「 最後の水瓶座 」から「 始まりの山羊座 」へと遷移する時期の一致を見ていることも面白いです。
但し、水瓶座には1960〜80年代から入ったことになっていますから、水瓶座の時代はまだ2000年ほど先と云うことになり、この点は「 マヤンカレンダー 」とはかなりズレてはいます。



                        マヤ文明のルーツ


歳差運動:約26000年の半分が13000年。
これはちょうどピュルム氷河期が終わり、急激な温暖化で氷河が溶け、「 縄文海進 」が起きた時期と一致します。 ピュルム氷河期時代、海水面は現在より100m位低かったのですが、「 縄文海進 」によって、一気に現在より50m程高いところまで海水面が上がったのです。 これが旧約聖書がシュメール神話からパクってノアと名前を付け替えた 「 ノアの大洪水 」を始めとして世界中の神話・伝説に残っている大洪水・世界の終わりと開闢の物語です。

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大洪水 〜 海没 と言えば、ムー・アトランティス伝説ですが、これらの文明は当然のことながらこの「 縄文海進 」の時期に沈んだのです。 そして逃げ延びた人々がまた新たに文明を再開しますが、今度は13000年の半分、6500年ほど前に喜界島の大噴火が起きて本州全域がその火山灰で覆われ、西日本の縄文人は全滅します。 そして東日本では、現在カルデラ湖である十和田湖、洞爺湖、それに岩木山が爆発し、北日本の縄文文明も壊滅。 かろうじて中間の長野岐阜方面だけの縄文人が生き残ります。
これだけの火山が連動するということは、太平洋をぐるりと囲む地震・火山帯では各地で同様の火山の大噴火が起きたものと思われます。 インドネシア・バヌアツ・ペルー・アリューシャン、そしてイタリアやグリーンランドでも起きたかもしれません。 喜界島の大噴火だけでも凄まじいものですが火山帯の大火山がたくさん噴火すれば、大気は火山灰で覆われ寒冷化によって、飢饉となり文明の大変動が引き起こされます。
このように13000年間に再開された文明はまたしても灰燼に帰してしまい、その後、最初の文明と云われているシュメール文明が5〜6000年前からスタートします。
つまり、13バクトゥンの約5125年とほぼ一致する時期になるのです。

壁画に宇宙船の内部のような絵があることから、宇宙人( ケツアルコトアル )から直接教わったともされていますが、マヤ文明の前には、オルメカ文明( BC1500頃~紀元前後 )があります。さらに、アマゾンの奥地:ボリビア ~ ペルー ~ ブラジル域には、BC3000年頃と思われる古代文明の跡も発見されています。

オルメカ文明は、紀元前1500年頃にメキシコ湾岸地方に突然あらわれた新大陸最古の古代文明と云われています。

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                         オルメカ文明の美術
                     ヒスイの仮面 石頭 ヒスイの仮面
                   鳥の容器 レスラー像 ボトル 魚の容器


米国のオクラホマ中央大学外国語学部の許輝(マイク・クシー) 教授と、中国歴史研究所の陳漢平( チェン・ハンピン) の研究が『 USニュース&ワールドレポート 』で紹介された記事には、「 オルメカ文明の陶磁器、翡翠(ひすい)加工品、彫像の実際の標本写真に、約百五十の象形文字を発見した。< 中略 > 彼はこれらの模様のデッサンを中国本土の古代文字専門家たちのもとに持ち込んで検証させた。彼らのほとんどが、それらが中国の甲骨文字や青銅器の碑銘中で使用される文字に酷似していることに関して、意見の一致をみた。< 中略 > 許は『 中米で最初の複雑な文化は、商(殷)王朝末期に難民として海を渡って逃れてきた、一団の中国人の助けを借りた上で出現したかもしれない。オルメカ文明は紀元前千二百年頃に発生したが、それは周の武王が商最後の支配者である紂王を討ち、商王朝に終焉が訪れた時期と一致する 』と信じている。」と掲載されているようです。

ところで、この商(殷)とは、「 商い 」をする支部(支那)地域のことで、その本拠地は、国東半島( 宇佐神宮 )にあったとするのが、鹿島昇・松重楊江・中原和人の「 鹿島史学 」であり、甲骨文字を記した亀の甲羅は必ずマレー半島域のものが使われたと云うこともマヤ文明成立に何らかの関連を持っているのかもしれません。

殷の甲骨文字は、シュメールの楔形文字がシュメールの貿易相手だったインダスで改良されてインダス文字となり、シュメール部族の移動に伴って日本・支那の地に持ち込まれ、支那で漢字へと組み立てられた。
と、松重楊江・中原和人氏が引き継いだ 鹿島史学の鹿島昇氏が明らかにしています。
鹿島史学と中原さんの民族移動に関する解析で、新大陸の民族はシュメール人やドラビダ族・ワジャック人の混血人種がマレー・スマトラ辺りから南太平洋海流に乗ってアメリカ大陸に移動したものと考えられていて、オルメカの甲骨文字状のものもその流れの中で捉えることができます。

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           左:オルメカ文字 右上:エラム文字 右下:シュメール文字


文字の発生は、、、現在発見されてるものでは、アナトリア〜シリアの遺跡から発見されたトークンが最も古く、次がシュメールの古拙文字です。 シュメール語からエラム語が派生し、ギルガメッシュの活躍したと思われる時代に「 楔形文字 」へと発展します。
上図で判るように、オルメカ文字はシュメールの古拙文字やエラム文字と似ています。

上図のオメルカ文字は、許輝・陳漢平の云うところの「 中国の甲骨文字に酷似 」してな く、シュメールの古拙文字やエラム文字に酷似しています。 許輝・陳漢平が研究した「 約百五十の象形文字 」がもし「 中国の甲骨文字に酷似 」しるのであるなら、それは、楔形文字以降の時代のシュメール〜インダスに植民した人たちが新大陸に波状的に移民・移植したものと考えられます。

先の「 オルメカ文明の美術 」に、翡翠の仮面などがありますが、支那との関連は翡翠の工芸品もその連想に関連してるのかもしれません。 しかしその支那の翡翠文化も実際にはメソポタミア〜インダスの民族によって移植されたのかもしれません。
支那にとっての翡翠の供給地であるミャンマーのカチン高原はナガランドに属し、蛇( 巳:大物主命 )をトーテムとするナーガ族となった古代シュメール人の移住地でもあり、ホータン〜バクトリアで産出するラピスラズリーを重宝するシュメール人の嗜好性でしょうか? ガンジス川文化圏では翡翠は重宝されたようです。

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                     翡翠の産地 ミャンマーのカチン州


これらの考証により、マヤ暦はその始まりをオルメカ文明に、オルメカ文明はシュメールにその源流を求めることが出来るようになりますが、BC4700年頃から始まったとされるシュメールのバビロニア暦は、太陰太陽暦の原型、マヤ暦のハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーはともかく、13と20の組み合わせから成る一周期260日のツォルキンと呼ばれるカレンダーが一体どこからもたらされたのか不思議です。



                   歳差運動と岩戸開きと13バクトゥン


さて、ここに太極図( タオマーク )です。
これが実は歳差運動と関係しているのです。

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                       ( 陰極まって陽転す )

地球に季節が4つあり、冬至・夏至、春分・秋分がありますが、歳差運動にもどうやら
4至分点があるようです。
超文明ムー( アトランティス )が滅びた13000年前の陰転( 大洪水:水 )から、6500年前の分点( 火山爆発:火 )からの「 必要悪としての覇権文明 」を経て、現在 「 陰極まって陽転す 」のポイントに至っています。
日本神道と云うお伽話に例えるなら、 13000年前の陰転 = 岩戸閉めと、13000年後の陽転 = 岩戸開きを今迎えつつあるように思えます。

6500年間に亘る「 成長 」の時代から、地球あまねく人類が地に満ちて成長とは別の文明へと移行しようとしつつある今。
それが、西洋占星術で云うところの、水瓶座( アクエリアス )の精神文明の時代意識であり、この時代の中で精神 = 意識 = 空 を再発見し、「 色即是空、空即是色 」の心理を実体験し、空からあらゆる色( 物質 )を紡ぎ出せる新しい陽の13000年の歴史を刻み始めることとなるのでしょう。

その鍵となるのが、アカシックレコードへのアクセスとプラーナエネルギーの活用法です。 1月14日( 月祝 )に東京でその講座を開催します。 更めてご案内しますのでお楽しみに!


          ※ このエッセイは、2012年5月13日の
            「 最古のマヤ暦発見! マヤン・カレンダーはやっぱり嘘だった! 」 を
            加筆修正したものです。



                  後編 : フォトンベルト編 に続く >




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by nueq | 2012-12-19 12:56 | 文明
      
     
 

               マヤ暦はまだ5000年先まであった。

          フォトンベルトとマヤン・カレンダーのマヤかしを剥ぐ

                            前 編


                     < 後編 : フォトンベルト編 へ
               マヤンカレンダーもフォトンベルトもNASAが仕掛けた
                 2012年12月22日 米ドルが紙切れになる日



                       前編 : マヤンカレンダー
                    2012年12月19日 加筆修正版
                   マヤンカレンダーとマヤ暦と歳差運動
                         マヤ文明のルーツ

                            は、こちら


米ボストン大学などの研究チームは、ガテマラにある9世紀初期のマヤ文明遺跡の壁画に、月や惑星の周期を計算したマヤ最古のカレンダーがあるのを発見し、11日付の「 American Science 」に発表された。( 産経 iZa!
「 2012年人類滅亡説 」がまことしやかに流布しているが、精査したところ、終末を示すような計算結果は見当たらなかったという。 マヤ最古のカレンダーを精査した研究チームは「 逆に、世界には7000年は先があると考えていたようだ 」としている。

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        グァテマラ北部にあるマヤの主要都市 San Bartolo から8km地点の
              Xultún(シュルトゥン?)遺跡で発見された壁画(上)
                         その再現図(下)


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          北の壁から見つかったマヤ最古の「 Long Count 」カレンダーで
           7000年先(現在より5000年先)までの計算がされている。


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     シュルトゥン遺跡の入口と壁画を彫り出すボストン大学のウィリアム・サトゥルノ博士

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               San Bartolo & Xultún 遺跡の場所(オレンジ点)



この発見によって「 マヤン・カレンダー = ホセ・アグエイアス・カレンダー 」の2012年12月でマヤ暦が終わると云う戯言(たわごと)は完全に息の根を止められたことになる。

いずれ当ブログに掲載しようと思っていたのですが、2007年11月に、ある精神世界関連の科学雑誌向けに「 2012年のウソと太陽黒点活動 」と云う記事を書きました。 後半部分は「 太陽黒点活動と地球文明の興亡 」と云うタイトルで発表されたものの、精神世界の2大稼ぎ頭である「 フォトンベルト と マヤン・カレンダー 」を完全否定する前半部分はカットされてしまいました。
今回のニュースを契機にその前半部分を5年ぶりにみなさんにご紹介します。




                 2012 年のウソと真実

               フォトンベルトとマヤ暦と地球温暖化


2012年12月22日。5年後のこの日は、マヤ暦最後の日とされ、この時期、地球はフォトンベルトに完全に包まれてアセンションに至ると云われています。
マヤ暦とフォトンベルト。
この二つの話題が偶然一致した2012年には他にも大きな節目を迎えます。

 ・ 2013年に伊勢神宮の式年遷宮(2012年の暮には新神殿は完成)。
 ・ マヤ暦最後の日:12月22日の翌日が平成天皇の誕生日。
 ・ 伯家神道:天皇即位に際しての「 祝神事 」100年不履行で大難。
 ・ アメリカ大統領選挙、ロシア大統領選挙。

こうした偶然の一致が重なる2012年の暮ですが、地球規模で何かが起こる可能性を示唆しているのが冒頭のマヤン・カレンダーとフォトンベルトです。
マヤン・カレンダーは本当なのか?
フォトンベルトは実在するのか?


             マヤ暦2012年12月22日の意味するもの

マヤ暦と云うと、ホセ&ロイディーン・アグエイアス夫妻の「 マヤンカレンダー(13の月:コズミックカレンダー)」で、7月25日を「 時間のない日 」とし、2012年12月22日でカレンダーは終わり、人類は次元上昇すると云われています。しかしこのアグエイアス夫妻のカレンダーには他ならぬマヤ族末裔の長老たちから異論が発せられています。
アグエイアス夫妻の「 マヤンカレンダー(13の月) 」とは、1980年代にマヤ族の末裔の一人であるフンバツ・メンから得たマヤ先住民の情報や、1950年代のマヤ文明研究の権威:エリック・トンプソンの文献、そして彼自身のチャネリング情報などを併せて創り出した独自の暦です。つまり「 マヤ暦 」そのものではない
ということにまず着目する必要があります。

  ※ 先に話を進めるにあたって、
    アグエイアス夫妻の「 マヤンカレンダー = アグエイアス・カレンダー 」と
    本来の「 マヤ暦 」は別物であるという観点から
    名称も「 マヤンカレンダー / マヤ暦 」 と区分して以降記します。

マヤ文明は、16世紀、スペインの侵略によって滅びます。
コロンブスに始まる大航海時代です。(1492年、新大陸発見)
1562年7月、司祭ディエゴ・デ・ランダは、「 異教徒 」マヤの文明を破壊し尽くします。1562年というと、日本では織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を破った2年後、松平元康(後の徳川家康)と清洲同盟(織徳同盟)を結んだ年です。
アメリカ大陸にはスペイン国王直下のカトリック修道会:フランシスコ会が、アジアにはバチカン別働隊の修道会:イエズス会のフランシスコ・ザビエルが進出し、やがてはイエズス会:バレンチノ神父も絡んだ織田信長爆殺へと繋がって行きます。

また、マヤ文明を初めてひもといたエリック・トンプソン氏は、当時研究論文が一切なかったためランダ司祭の残した資料を基にマヤの末裔たちから聞いた話を加えてマヤ文字と文明の解読を行いましたが、弾圧されたマヤの子孫たちが本当のことを話すことはありませんでした。 しかもトンプソン氏自身がキリスト教のハルマケドン文明史観からマヤ暦を解釈したため、「 マヤンカレンダー 」はすでにこの時点からバイアスがかかっていたようです。

アグエイアス博士の「 マヤンカレンダー 」では7月26日を一年の起点と定めていますが、これはトンプソン氏の解釈であり、7月26日とは本当はマヤでは農業をするにあたっての重要な日であり、マヤの元旦ではありません。 本当のマヤの暦の基点は春分の日の後の最初の満月の日とされています。

また、マヤの考え方には、キリスト教的な終末論(ハルマゲドン)はありません。

2012年辺りででマヤ暦が終了している理由は、そこから「 時間がなくなる 」というより、オルメカ文明に続くマヤ文明が存続した紀元前後~AD1562年が属する周期を最後に記したとする方が自然ではないでしょうか?

では、2012年をマヤ暦の中で検証してみましょう。
マヤ暦の一周期25, 630年は、地球の歳差運動:25, 920年と近似です。

マヤ文明が歳差運動を正確に読み取っていたかどうかはまだよく判りません。
ミランコビッチによれば、歳差運動は1 万9000 年、2 万2000 年、2 万4000 年の3つの周期の組合せから構成され、また、歳差を作る自転軸の傾斜角も4 万1000 年の周期で22.1 度から24.5 度に振れていて、歳差周期はこれらの組合せで増減を繰り返しています。
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さて、マヤ暦の長周期は1, 872, 000日(÷365. 25=5125. 26年)で、グレゴリオ暦のBC3114年8月11日に始まり2012年12月21日で終わるとされています。(21日説と22日説があるようです。)
この5125. 26年でマヤの一周期25, 630年で割ると5. 14巡。
歳差運動の25, 920年では、5. 06巡となります。
この計算はマヤで使われた暦の長周期:1, 872, 000日が、一定の周期であるとして歳差運動を割ったものですが、村松誠一郎と云う方は「 黙示録「天空」カレンダー 」(中央アート出版)で長周期が一定でないとの説を掲げ、次のような区分を記しています。
  第1周期)BC20239~BC16231(4008年間)
  第2周期)BC16231~BC12221(4010年間)
  第3周期)BC12221~BC.8140(4081年間)
  第4周期)BC.8140~BC.3114(5026年間)
  第5周期)BC.3114~AD.2012(5126年間)
と、云う区分となっていますが、なぜそれぞれの周期の長さがばらばらなのでしょうか?
村松氏の著書の中でその出展が明らかにされていないのと、著者に連絡不能なため、根拠は不明ですが、占星術の12宮の区分の仕方にその秘密があるのかもしれません。つまり、実際の星座の位置やサイズと、黄道を12等分した長さはきれいには比例しないと云うことです。占星術は星のエネルギーが投影(刻印)されたパターン解析とも云えますので、実際の星のエネルギーを読み取ろうとするなら、黄道を12等分したものではなく、星座の実際の位置関係を重視した方がより正確になります。この5つの長周期がばらばらなのはのそのせいかもしれませんが、その詳細な分析は本題からずれるのでここでは省略します。

占星術上の星座の巡りは、春分の牡羊座から始まって魚座で終わります。
歳差運動に於ける星座とは、地球の地軸の首振り運動に伴って春分の際の太陽の位置を云うもので、通常の占星術の星座の巡りとは反対に巡ります。
ですから、魚座の次が現在の水瓶座となっています。
2012年で暦が終わる、つまり歳差運動に伴う大きな周期が終わるとするなら、それは水瓶座で始まり、水瓶座で終わるのでしょうか?
もちろんこれはマヤの暦が歳差運動を考慮したものであり、マヤには終末の考えはないと云う視点に立った上でのことですが、マヤの暦がどこからもたらされたのかと云うことも気になります。
壁画に宇宙船の内部のような絵があることから、宇宙人(ケツアルコトアル)から直接教わったともされていますが、マヤ文明の前には、オルメカ文明(BC1250~紀元前後)があります。さらに、アマゾンの奥地:ボリビア ~ ペルー ~ ブラジル域には、BC3000年頃と思われる古代文明の跡も発見されています。

米国のオクラホマ中央大学外国語学部の許輝(マイク・クシー) 教授と、中国歴史研究所の陳漢平( チェン・ハンピン) の研究が『 USニュース&ワールドレポート 』で紹介された記事には、「 オルメカ文明の陶磁器、翡翠(ひすい)加工品、彫像の実際の標本写真に、約百五十の象形文字を発見した。< 中略 > 彼はこれらの模様のデッサンを中国本土の古代文字専門家たちのもとに持ち込んで検証させた。彼らのほとんどが、それらが中国の甲骨文字や青銅器の碑銘中で使用される文字に酷似していることに関して、意見の一致をみた。< 中略 > 許は『 中米で最初の複雑な文化は、商(殷)王朝末期に難民として海を渡って逃れてきた、一団の中国人の助けを借りた上で出現したかもしれない。オルメカ文明は紀元前千二百年頃に発生したが、それは周の武王が商最後の支配者である紂王を討ち、商王朝に終焉が訪れた時期と一致する 』と信じている。」と掲載されているようです。

そして、この商(殷)とは、「 商い 」をする支部(支那)地域のことで、その本拠地は、国東半島(宇佐神宮)にあったとするのが、松重楊江・中原和人氏( 「 教科書には絶対書かれない古代史の真相 」 「 検証!捏造の日本史 」 共に たま出版 )であり、甲骨文字を記した亀の甲羅は必ずマレー半島域のものが使われたと云うこともマヤ文明成立に何らかの関連を持っているのかもしれません。

    ※ 2012年12月12日 追記
      殷の甲骨文字は、シュメールの楔形文字が
      シュメールの貿易相手だったインダスで改良されてインダス文字となり、
      シュメール部族の移動に伴って日本・支那の地に持ち込まれ、
      支那で漢字へと組み立てられた。
      と、松重楊江・中原和人氏が引き継いだ 鹿島史学の
      鹿島昇氏が明らかにしています。
      つまり、オルメカの甲骨文字状のものは、
      シュメール人とドラビダ族の混血人種がマレー辺りから
      南太平洋海流に乗ってアメリカ大陸にもたらしたものと考えられます。
      であるなら、マヤ暦の元は、シュメール暦である。
      と云うことになり、現地では失われた古きシュメール暦が
      保存されていたのかもしれません。

さらに、古代エジプト文明とマヤ文明の関連や、占星術誕生の地といわれているバビロニアのことも考慮すると、マヤ暦の起源を求めるにはこれらの先行文明との関連や影響をも考慮する必要があるでしょう。

さて、村松氏の5つの周期を合計すると、22, 251年となり、マヤの一周期にも、現代科学の歳差運動周期にも足りません。 歳差運動の25, 920年を12宮で割ると、各宮(星座)の期間は、2, 160年となります。

   22, 251年 ÷ 2, 160年 = 10. 30宮

つまり、村松氏の周期では第一周期の起点は、まがいものをはぎ落とす、完全性の山羊座が起点となります。つまり、終点も山羊座です。

  マヤ 25, 630年 - 22, 251年 = 3379年(AD5391年)
  歳差 25, 920年 - 22, 251年 = 3669年(AD5681年)

となって、次の超大周期に入るまで、まだ3600年以上の時間が残されていることになります。これだけの時間があれば、強制アセンションに依らなくても、この低次元な人類の意識レベルも、水瓶座と云う神秘の訓練期間を経て完全性に至ることは可能に思えてきます。

  「 山羊座 」に始まり「 山羊座 」に終わる。
  完全に始まり、完全で終わる。
  αでありΩである阿吽の呼吸。

をマヤの暦は伝えているように思えてきます。

2012年は、完全性へと文明がシフトしていくことを暗示している起点として位置づけることが出来るようです。
ホセ&ロイディーン・アグエイアス夫妻による「 マヤンカレンダー 」は、「 マヤ暦」とは別の独自のものであり、キリスト教原理主義史観のバイアスがかかっているものではあるものの、ローマ・ユリウス ~ グレゴリオ暦によってゆがめられた時間の尺度(暦)を見直す契機ともなり、人類が新しい意識へとシフトするための手引きとして大きな貢献をしたと云えるでしょう。



                            《 後編
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                 伯家神道が予言する 2012年 天皇家の終焉






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by nueq | 2012-05-13 14:44 | 文明
         続報 : 伯家神道が予言する 2012年 天皇家の終焉


関係者の方より、情報が入りましたのでお知らせします。

1月3日のエッセイ「 伯家神道が予言する 2012年 天皇家の終焉 」で、

・ 明治2年に白川家が宮中より追放されて以来、祝(はふり)神事は行われていない。
・ 祝神事が100年、或いは3~4代行われないと日本の国体(天皇家)が崩壊する。
・ 大正天皇即位の1912年から今年は100年目。3人の天皇が祝神事を受けてない。

と、書きましたが、伯家神道を継承するある方に再確認して頂いたところ、伯家神道にはそのような言い伝えはなく、いつの頃からかそのような噂が独り歩きするようになった。とのことです。

また、皇太子が天皇を践祚する際に行われるこの祝(はふり)神事は、実は宮中で密かに行われている可能性もある。とのことです。

「 伯家神道を継承するある方 」と、書きましたが、継承していることをアピールしている人は幾人かいて、直接・間接的に知っていますが、今回の情報源はそう云った表には一切出てないところからのもので、アピールされている方々とは質的に異なるとだけ加えておきます。

ところで、この「 祝神事 」ですが、一体いつ頃から存在するのか?
第65代花山天皇(在位 984〜986年)の孫:延信王が臣籍降下して神祇官の長官である神祇伯に任官されて以降、白川伯王家が継承されたわけですが、「 祝神事 」自体はもっと前から行われていたものと推測していました。

ところが、たまたま、古田武彦氏の「 俾弥呼(ひみか) 」を読んでいたら、その中(p.234 )に回答が書いてありました!
そう、
    求めよ! さらば与えられん。

です。 いつもこうなんです。(^o^)ゞ

筑後国風土記逸文に次のような文章があるとのことです。

  昔、此の堺の上に麁猛(あらぶる)神あり、往来の人、半ば生き、半ば死にき。
  其の数極(いた)く多なりき。因りて人の命尽(つくし)の神と曰ひき。
  時に、筑紫君・肥君等占へて、
  今の筑紫君等が祖甕依姫(みかよりひめ)を祝(はふり)と為して祭る。
  爾より以降、路行く人、神に害はれず。
  是を以ちて、筑紫の神と曰ふ。

余談ですが、面白い事に、福岡の元の名:博多のそのまた元の名:筑紫(ちくし)の語源は、人の命尽(つくし)ところにあるのですねぇ~~~!? 福岡とは、備前の寒村:福岡村出身の、秀吉が参謀総長にしてCIA長官=黒田官兵衛の子どもが、吉備から筑紫に行って、「 酒はのぉ~めぇ~~~、、、のぉめぇ~~~~、の~~むぅなぁ あらぁ ばぁ~~~~ ♪ 」とやって以来、吉備の寒村:福岡村の名称になってしまったものです。 まぁ、そんな吉備の国も、吉備団子を餌にした新羅軍団=吉備族に殲滅されて「 吉備 」の地名に変えられたわけですが。。。。と、酒と団子の物語。

本題に戻って、此の堺(境)とは、筑前と筑後を分ける峠のことのようで、古田氏は、この甕依姫(みかよりひめ)が卑弥呼であるとしていますが、それはさておき、おそらく「 祝(はふり)の神事 」が文献上に登場するのはこれが始めではないでしょうか?(もっと前をご存知の方あれば、コメントお願いします。)
風土記は、元明天皇(在位 707〜715年)の詔により各令制国の国庁が編纂した奈良時代初期の官撰地誌。

「 今の筑紫君等 」とは、冒頭の「 昔 」の時点の事であり、それが自分たちの祖先=甕依姫を祝として祀る。と云うことは、問題の麁猛神の事件は、528年の磐井の乱、或いは吉野ヶ里や平原を巡る2〜3世紀頃の激戦のことなのかもしれません。

甕依姫(卑弥呼?)を祝(はふり)として祀ったということなのですが、
これに対して、現在の大嘗祭は、
皇太子が神(天照大御神)と添い寝することで神の息吹を体内に宿し、
新天皇となる儀式とされています。

つまり、現在の大嘗祭は神(天照大御神)を 祝(はふ)り、
筑後国風土記では、甕依姫(卑弥呼?)を 祝(はふ)り た訳です。

つまり、王朝が九州から奈良、或いは京都に移動する間に、祝(はふり)の主体が、 甕依姫(卑弥呼?)から神(天照大御神)へと変化したと云うことを物語っている可能性があります。(尤も、大嘗祭と祝神事は別物ですが。)

伯家神道が予言する 2012年 天皇家の終焉 」で、百済平安王朝安定期に、神祇伯がウガヤフキアエズ(ニギハヤヒ)系の延信王に固定されたのが、白川伯王家の始まりかも。と、推論しましたが、その傍証がひとつ得られたということになるのでしょうか?

それとも、祝神事は、各民族・部族がそれぞれ独自に行なっていたが、現天皇家のものだけが残ったということなのでしょうか?

いずれにせよ、ポイントは、 祝(はふり)とは何か?

この問いは、天皇践祚とは何か?
天皇とは何か?
天皇家とは何か?
を、問う上で重要なポイントになるのではないだろうか?

果たして、近未来に応えが届くか?、愉しみです。



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by nueq | 2012-02-06 23:01

           伯家神道が予言する 2012年 天皇家の終焉

    
2012年の大イベントと云えばフォトンベルトとマヤンカレンダーだが、もうひとつ重要なイベントが予言されている。
皇太子が天皇に即位する際行われる「 祝(はふり)神事 」が100年間、或いは4代行われないと天皇家は滅びる。と云う伯家神道の言い伝えで、今年の7月30日をもって100年目となる。

伯家神道(白川流神道)は、平安朝初代桓武天皇より16代目:歴代65代花山天皇(在位 984〜986年)の孫:延信王が臣籍降下して神祇官の長官である神祇伯に任官されて以降、その子孫が神祇伯を世襲し、白川伯王家を名乗るようになる。

この時代どんなことがあったのかと云うと、
  935年 - 平将門・藤原純友による承平天慶の乱(- 941年)。
  986年 - 花山天皇を廃した藤原道長全盛時代( - 1027年)。
 1002年 - この頃、紫式部の『源氏物語』が成立。 安倍晴明vs蘆屋道満 対決。
 1051年 - 安倍貞任:前九年の役( - 1062年 源氏・平氏の台頭)
 1054年 - 7月4日超新星爆発。「かに星雲(M1)」
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海外では
  926年 - 契丹(遼 - 1125年)が渤海を滅ぼす。
  936年 - 高麗が新羅・後百済を滅ぼして朝鮮半島を統一。
 1096年 - 第1回十字軍出発。

と、平安藤原王朝全盛期にして安倍晴明が活躍した時代と同時期となっている。
海外では、唐から宋へと移り、欧州ではフランク王国滅亡後の神聖ローマ帝国の時代から、インディ・ジョーンズやダ・ヴィンチ・コードのモチーフとなった十字軍(テンプル騎士団)の時代へ。

白川伯王家が世襲した神祇伯は、毎年の新嘗祭を始め、様々な宮中祭祀のすべてを取り仕切る役職だが、明治維新の直後、神道を簒奪し「 明治神道 」と云う新興宗教を開始するにあたって、白川家の王号は廃されて当主:資訓は子爵となるが、その子:資長に子がなく断絶した。 

問題は、皇太子が天皇に即位する時行われる「 祝(はふり)神事 」にある。 大室寅之祐が明治天皇となる際にはこの 祝神事を受けたようだが、明治の始めに神祇伯が廃される時、「 祝神事 」の破壊の危険性が察知され、関係書類や道具は秘匿された。( 現在も行方不明。)
こうして大正天皇(1912年7月30日即位)以降の天皇はこの即位の神事を受けていない。 白川伯王家には、「 祝神事が100年断絶、或いは4代続けて受けない場合、天皇家は滅びる。」との言い伝えがあり、今年の7月30日をもって丁度100年を迎える。 時あたかも平成の終わりを告げようとしており、癌を煩った平成天皇がその病身を東北被災地に運んで被爆し、気管支炎など様態が悪化したとも伝えられているが、後を継ぐ皇子たちの間で繰り広げられている「 平成の壬申の乱 」が長らく話題となって来た。しかも今年の干支は十二支の漢字は違うものの同じ「 じんしん = 壬辰 」の年。

この件では、デヴィ夫人が自身のブログで11月15日「 現皇太子を廃嫡『皇太子位を秋篠宮文仁殿下へ移譲』署名運動 国民は我慢の限界 」とぶち上げて話題となっています。

明治簒奪政府は、なぜ「 祝(はふり)神事 」を廃絶したのか?
明治以降、皇太子の教育係が欧米のキリスト教宣教師であることと関係しているように思えてならない。 しかも、第2次大戦後、皇室予算の削減と云う表向きの理由で宮家が廃絶されたが、発生論的には、雄系(男系)だけで家督を継げば3代の後には断絶する可能性が極めて高いことが知られていて、つい最近まで、まさにそのような展開となっていたのです。 明治維新の際のイギリス、第2次大戦後のアメリカによるかもしれないその深謀遠慮が効を即し、世界で最も古い皇統の断絶が目前に迫ろうとしていたのですが、そこに誕生したのが、秋篠宮の悠仁親王誕生。 これによりかろうじて男系皇統は命脈を保った訳です。 がしかし、125代続いた天皇家は決して男系による万世一系ではなく、むしろ女系でいくつもの王朝の交代をつないで来たのが実際のところです。

さて、白川伯王家ですが、この「 伯 」の一字が気になります。
金正恩の父親ってホントに金正日? 」のところでも書きましたが、神武天皇に先立つウガヤフキアエズ(鵜草葺不合)王朝です。
官製偽書である古事記・日本書紀以外の多くの古史古伝では、50〜70代続いた王朝とされていますが、鹿島・松重・中原史学では、アナトリア半島(トルコ)タガーマのハラン(高天原)から東遷して来た流れがウガヤフキアエズ王朝であり、現在の満蒙・渤海・遼東遼西・朝鮮半島辺りにいた濊貊(かいはく)・扶餘族であり、その末裔が現日本の天皇家である。としています。
問題は、この「 濊貊(かいはく) 」の 濊族と貊族ですが、貊族は「 伯族 」とも書き、その王:饒速日(ニギハヤヒ)が一族を率いて日本に亡命してきたとする研究者も多くいます。 つまり、ハランの初代アマテル王(天照)の皇統を受け継ぐニギハヤヒの伯族が神武(イワレヒコ)の軍門に下り、その即位の儀式を執り行う神官になった。と云うことを意味してるのでしょうか? 平城新羅王朝から、濊貊扶餘の末裔である平安百済王朝に移行して安泰期に入ったこの時期に、神祇伯が中臣氏(イシン・東表・任那・新羅系)から 伯族・百済系延信王に移された。と推理しますが如何でしょうか? この頃、占いの中心が 殷・東表 (とうびょう → 後に豊国 → 豊前・豊後へと推移 )系の亀卜(きぼく:マラッカ海峡辺りだけに棲息する亀の甲羅を焼いて占う)から陰陽道へと移行している点も関連してるように思えます。
ちなみに、中国皇帝は即位の際、泰山(たいざん:山東半島)の山頂で天帝から地帝権を授かる儀式を執り行いますが、これを初めて行ったのが、ペルシャ・バクトリア系の秦の始皇帝。 漢の時代には初期には泰山に登ってたようですが、以降の皇帝はあまり登らなくなったようです。
このウガヤフキアエズの皇統にせよ、始皇帝の皇統にせよ、その王権神授の様式にはシュメールや、その後のミトラやゾロアスターを奉じるアーリア系の影響が感じられますが、しかし、日本にはそれに先立つ縄文文明(実はあまり知られてないが極めて高度な科学文明)があり、日本の皇統には、大嘗祭(だいじょうさい)の添い寝の儀式に感じられるアニムズム的縄文様式も習合してるようにも思えます。 

大嘗祭と新嘗祭(にいなめさい)について、「 クリスマスって何の日? ・・・バビロン暦とグレゴリオ暦と和暦 」 に

 冬至が本来(縄文)の新嘗祭であり、正月元旦だったはずです。
 ・・・なぜ、(新嘗祭を)冬至ではなく、冬至近辺の第2卯の日に
 わざわざしなければならないのか?
 「 何でも唐風 」って云う風潮に併せて、五行に無理矢理合わせようとする
 言葉遊びみたいなものが先行して本来の意味を失ってしまったのではないか? 
 数年前に、日本の祝日のいくつかが連休になるように変更されましたが、
 縄文 〜 弥生の「 太陽信仰 」を隠したかった勢力が権力を握った時代に、
 五行にすり替えたのかもしれませんね。

と、書いたが、「 求めよ! さらば与えられん。」で、先程探し物をしていたら偶然「 原初の太陽神と固有暦 」吉村貞司 昭和59(1984)年、六興出版 の全ページコピーが出て来た! そして、そこに上記の推論への解答が吉村氏の詳しい調査で記されていた。

・ 中国から暦が入って来たのは、推古10(602)年10月で元嘉暦と云う。
・ 宋の元嘉20(443)年に作られた暦。
・ 持統天皇4(690)年、初めて旧暦11月24日に大嘗祭。
・ 以降、大嘗祭は11月下卯の日に行われた。
・ 持統以前の大嘗祭(天皇即位式)及び立太子は、1月1日〜15日。
・ つまり即位式は持統以前は、神武以来正月1日が原則。
・ 持統は1月1日と、11月24日の2回、即位式をあげている。
・ 持統以前は、新嘗 = 大嘗 = 即位式 = 冬至 = 固有暦 正月一日だった。
・ 持統以降、即位式が大嘗祭(新嘗祭)と分離。
・ 明治のグレゴリオ暦導入で新嘗祭と大嘗祭が分離され、
  新嘗祭はグレゴリオ暦の11月23日となった。

と、まさにドンピシャで、持統天皇が中国暦を導入する以前は、日本の固有暦(太陽暦)があり、冬至が正月となっていた。 1月1日ー11月23日=38日 となるので、固有暦の夏至は、6月21日ー38日=5月15日頃。
吉村氏は夏至の田植えも調査していて、

 中はずらせ、半夏は待つな。

と基本的には全国的に云われていることも突き止めているが、「 五月の中 」が夏至とされてるところからも上記の計算と一致する。「 半夏 」とは夏至から10日目の「 半夏生(はんげしょう)」のことで、この時期雑草が生え始めるので、その前に稲の根を張らせて雑草が生えにくくするのである。 夏至に田んぼに入ると足が棒のようになる病気になり易いとのことで、5月5日の節句の菖蒲(本来は真菰の可能性大:マコモ湯>菖蒲湯は、細菌を寄せ付けない。)は、夏至(固有暦5月15日頃)の祭りが置換された上に五月五日のゾロ目にズラされたものと推測される。 現代では田植えはだいたい5月の連休辺りにするところが多いが、昔は夏至の頃(今の6月終わり頃)にしていたのだろう。

余談になったが、余談ついでに、精神世界で「 グランディング 」と云う言葉が語られるが、 グランディング に最も効果が高いのが田植え。 無農薬のとろっとろの泥の田んぼに素足で入って、苗を手植えする時、天と地のエネルギーがダイレクトに注ぎ込まれてくる感覚を身体全体で味わうことが出来ます。「 壬辰の年、2012年とは?」で書いた「 申(さる)」の字の、田んぼに突き刺さるエネルギーそのものだ。 スピチュアル・ジャンキーなみなさん、ぜひ今年は素足で田植えを体験してみてください。 ふわふわゆらゆらが消えてバシッーーー! と、一発でグランディングできます。 但し、絶対に無農薬の田んぼで。 出来れば3年以上無農薬の田んぼ。そしてもし可能なら山の中腹の棚田がお薦めです。

冬至と固有暦の話に戻って、そう、推古天皇(実在すればの話だが:その時期)以前、つまり蘇我氏(と記紀には記されている勢力)全盛時代以前の古墳時代 〜 弥生時代には、日本固有の太陽暦が存在していたことが吉村氏の調査で明らかとなったのです。 この固有の太陽暦は、それ以前の一万年続いた縄文時代から使われて来たものでしょう。 現在の神社の元宮として磐座(いわくら)が語られたりしますが、磐座は縄文時代の壮麗な石造建築物が破壊された跡であることを発見したのが、京都造形大学名誉教授で世界的な建築家:渡辺豊和さんです。 昨年出版された新著「 古代日本のフリーメーソン 」<(出版社が勝手に付けたタイトルと推測され、なぜ学研ムーブックから出版されたのか不思議な気がする優れた内容の本です。)に縄文時代の太陽信仰と驚異の巨大石造建築に関する調査・考察がまとめられています。(以下の3画像は同書より)
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                    現在の足摺:唐人巨石遺跡
                      ( 撮影:渡辺豊和氏 )

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          6000年程前に築造された唐人ポリス(唐人遺跡)の再現CG
                       ( 制作:渡辺豊和氏 )

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             縄文時代の 「 太陽の道 」 夏至線・冬至線・春分秋分線
      この交点に巨石群・ストーンサークル・ピラミッド・古い神社等が配置されている
                    基準点は三輪山の張り出し台地
                       ( 制作:渡辺豊和氏 )


話しをもう一段「 祝神事 」に戻すと、
皇統には、血統と霊統の継承があり、たとえ血統が途絶えても霊統が継承されれば皇統は繋がるとも云われています。 125代の天皇家が男系による万世一系でないことは明らかですが、場合によっては女系でも断絶してる可能性もありますがしかし、霊統によって円天地方森羅万象を祀る祭祀王としての天皇位は受け継がれて来たのでしょう。 
少なくとも縄文時代にはそのようであったと感じます。
( 「 天皇 」と云う呼称は、持統天皇の時代に創られた。)
時代は神武王朝がその役目を終え、新たな王朝へと移行しつつあるのでしょうか?


暦は、無意識レベルで「 時間 」を司るシステムです。
暦(時間軸)の乱れがあらゆる不協和音の原因となっています。
暦(時間軸)を正し、天地(空間軸)をつなぐ祭祀を縄文の時代に戻す時、何かがゆっくりと動き始め出すかもしれません。

時空、別の言葉で云うなら宇宙。
「 宇 」は空間のことで、「 宙 」とは時間のことです。
地球上の時間は、太陽や月を始めとする天体の動きで生成されています。
そんな太陽系内の天体の動きを上から眺め下ろせるカレンダーがあります。
地球暦:ヘリオコンパス 」。
僕は毎日トイレに腰を降ろして太陽系を眼下に望んでいます。

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                        ( 1月3日の太陽系 )




                             続編

              続報 : 伯家神道が予言する 2012年 天皇家の終焉
                        伯家神道の予言は捏造?
                  



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by nueq | 2012-01-03 05:34 | 文明
        
                    壬辰の年、2012年とは?


2012年、明けましておめでとうございます。
いよいよ、2012年です。

1984年(ジョージ・オーウェル)、1999年(ノストラダムス)、そして2012年。 
今年何が予言され、何が予定されてるのかまとめてみます。

・ フォトンベルトに地球が完全没入(12月22日)
・ マヤン・カレンダー(ホセ・アグエイアス・カレンダー)最後の日(12月21日)
・ 伯家神道:祝(はふり)神事断絶100年(7月30日)= 天皇家消滅
・ 平成天皇誕生日(12月23日)
・ 伊勢神宮式年遷宮(2013年)の準備
・ アメリカ大統領選挙(12月)
・ 中国書記長選出(12月?)
・ ロシア大統領選挙(12月?)
・ 太陽11年周期:サイクル23の極大期(〜2013年)

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このうち、最初の3つと最後の太陽活動の予定をもって、2012年はハルマケドン、或いはアセンションの年と、長らく喧伝されてきました。 最初の2つについては別の項で詳しく論じるとして、3番目の 伯家神道についても追って記事をUPしたいと思います。


さて、今年の干支(えと)の壬辰(みずのえたつ)について。

和暦(農暦・旧暦・ 太陰太陽暦)であるとことの壬辰は、実際にはグリゴリオ暦(新暦・太陽暦)1月23日に始まります。日本では明治6年以降、旧正月と云いますが、東アジア全般ではこの日が今でもお正月。 現在のグレゴリオ暦1月1日元旦がナンセンスであることは 「 クリスマスって何の日?・・・バビロン暦・グレゴリオ暦・和暦 」 で書いた通り。
( その後、「 伯家神道が予言する 2012年 天皇家の終焉 」 に詳細記事をUP )


干支は十干十二支で構成され組み合わせは全部で60通りで、60年に一度同じ干支が巡ってきます。
今年は、十干が9番目の水の兄(みずのえ)で、十二支が5番目の辰(たつ)。

十干は五行の「 木火土金水(もっかどごんすい:きひつかみ → 吉備津神)」に陰陽(兄弟)を掛け合わせたもので、来年は「 水の弟 = みずのと:癸 」。

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十干は、樹木の生長を10の段階で現したもので、今回のサイクルは2004年の甲申(きのえ さる)に始まり、来年2013年の癸巳(みずのと み)で完結する。

最初の「 甲申 」は十干も十二支も字が似ている。
「 甲 」は、植物の種にひげ根が出来て土の中で伸び始めた様。丁度モヤシのあれである。 またこの字は「 甲羅 」の甲であり、「 かぶと 」とも読む。 硬い種が地面を割って伸びゆく状態。 「 申 」は猿だが、田んぼに串刺しを表している。 何を串刺しにするのかと云うと、稲妻である。 稲の妻たる雷が田んぼを貫き、土壌を豊穣にする大量の電子をもたらしてくれるもの。 雷(かみなり)はまた「 神鳴り 」とも書き、「 神勅 」のことでもある。 「 申 」は「 申す 」とも読むが、示す編を付けると「 神 」と云う字になる。
つまり神が申す「 申(さる)」を表し、日光東照宮の見猿・言わ猿・聞か猿に申が使われていることにも関連している。
なので、「 甲申 」は「 神 鳴りて 芽吹く 」年。
或いは、 21世紀が幕を開けた2004年から神意によって「 神 成る 」神化への道が始まった、大立て直しの幕開け。と、読み解くことも出来るのです。
(「 神 」とは6000年前、宗教的に擬人化されたもので、本来的には「 宇宙の摂理 」そのものであり、「 宇宙意思 」と解釈した方が良いでしょう。)

ちなみに、阪神タイガースの甲子園は、1924(大正13)年「 甲子 」の年に造られたので、この名前となり、現在は地名にもなっています。 「 甲 」は十干の最初、「 子 」は十二支の最初で、初々しい高校野球にはモッテコイの球場です。 北側には六甲山と云う連山が連なっています。 これは、「 六甲 」=「 むこう 」=「 向こう 」側の山の意味で、古代の中心地:大和地方から難波湾の向こうにある山を遠望して「 向こう側の山 」と呼んだところから始まり、江戸時代に「 六甲 」の当て字となったそうです。
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         ( 吉村貞司 「 原初の太陽神と固有暦 」 昭和59年 六興出版より )

「 六つの甲(かぶと)が埋められた山 」の神話は、この「 六甲 」の当て字から生まれたそうですが、古代、六甲連山と一番東の兜山は瀬戸内海の要衝の地であったはずで、ひょっとして「 6つの甲 」神話はもっと古くからあったりして。。。。
そして、その次の60年後の「 甲子 」はなんと、ジョージ・オーウェルの「 1984 」。なんだか意味深長ですねぇ〜〜〜。。。


昨年2011年の「 辛 」は、鋭い刃物の象形文字で、切断の対象を生き物とし、刃物で切れば鋭い痛みを与える意から「 辛辣 」の言葉にも使われています。 十干の8番目に当たり、旺盛に生い茂りつつある樹木の生長を阻むものを、罪人として扱い、切り捨てる力として働き、極めて攻撃的な意を含む。
自然(天)の使命を帯びた「 干 」の働きが仕上げに入り、極めて強い動きをする過程。 これに象徴されるのが、1991年のソ連消滅、2001年の911、そして昨年2011年のジャスミン革命 〜 アラブの春であり、ギリシャ 〜 ユーロ危機であり、反ウォール街デモであり、神化を阻む日本人への警告としての311だった(仮に何かが某勢力の謀略によって引き起こされたとしても、それもまた「 経綸 」の一部である)。


さて9番目の「 干 」となる今年2012年は「 壬 」。

壬に人の字を付けると、佞人 奸人と同意義の壬人になる。信頼が置けない人、どう見ても壬の漢字は胡散臭い意味になり十干の中では、へつらう悪賢い人間が中枢に立つ事が多いと解釈されている。
世界でも指折りの日本が誇る某金融マンが、今年の動きについて畑違いの意外な「 予言 」をしたそうだ。「 2012年にこれまでの仕組みが大きく変わり始め、世界中の誰もが手を叩いて受け入れる救世主が現れるだろう。しかし、彼は偽物であり、世界の市民を陥れる役割をもって登場するが、長くは続かない。彼が失墜した後、本当の変化が訪れる。」・・・まさに予言されている「 偽キリスト 」の出現のようだ。

逆に漢字語源では「 壬 」と同義の漢字に「 入・内・妊・男 」を並べている。 基本義は「 中に入れこむ 」である。 「 壬 」は、織機の中の糸巻き心棒を描いた I 型の字が原形で、この中央に糸が巻かれやや膨れた姿になった象形文字。 糸が巻き付けられ膨らんだ糸巻きであり、荷物や仕事を両手一杯に入れこんで抱き込んだ「 任 」であり、赤ちゃんが出来てお腹が膨らんだ「 妊 」である。
前年の「 辛 」で荒技を使い、天意(自然)の使命を果たす為に障害を払い落し、「 甲 」から始まった生命体が完成する姿である。
つまり「 神鳴り 」に始まった神意による大事業が仕上がる年となることを現しています。


次に十二支の「 辰 」を見てみましょう。

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( 註:十二宮は、通常のものから2ヶ月ずらせてあります。 これは「 クリスマスって何の日?・・・バビロン暦・グレゴリオ暦・和暦 」でも触れたように、ローマ暦の始まりが3月であり、その元となったバビロン暦も3月から始まる為のズレで、その補正を行ったものです。)

「 辰 」は人生期に例えると青年期に当たり、このこの時期の最大のイベントはなんと云っても「 結婚 」。 男女の虚々実々の駆け引きとロマンとSEXが最大のテーマ。 同時に詩や歌・芸術・発明など創作意欲も旺盛な時期。 「 辰 」の部首をもつ漢字には、震・振・唇 娠・辱・農などがあり、振れるもの揺れる字が多いようである。 樹木に例えれば枝葉がぐんぐん伸びる過程にあり、その強い動きに人々は振り回され、唯々諾々と御時世に従う時と思えば良いだろう。 表現を変えれば自然の勢いが、人々の感覚を麻痺させて主体性を見失う。この状態は、パニック 付和雷同 流言飛語の温床で、世の中、同一行動の傾向が強まる。自然の働きが強まれば人は思考能力を無くし、最善策として時の流れに身を任すだけとなる。


「 壬 」と「 辰 」の組み合わせの「 2012年 壬辰(じんしん)の乱 」とは、

( 本来の「 じんしんの乱 」 は、「 壬申の乱 」 と書き、天智天皇崩御後の大友皇子と大海人皇子(天武天皇)の内乱のことだが、現在「 平成の壬申の乱 」が進行中。 これについては「 伯家神道 」のエッセイの中で記します。)

「 壬辰 」は「 丙辰・甲辰・ 壬辰 ・庚辰・戊辰 」と成長する龍の中間にある熟年期。 知性は持てど理性なき生命体にして、迷いの罠の森で長いものに巻かれつつ、 目先の欲望と現実の生活を第一優先に運命は神様任せと云う性質を備えている。
「 壬 」 信頼が置けない、媚びへつらう悪賢い人間が中枢に立ち、
「 辰 」 虚栄と虚勢、主体性を見失い人々は思考能力を失って付和雷同し時の流れに身を任す。
まさにスピチュアル・ジャンキーたちが待ち望んだ「 アセンション(昇天)」の年にふさわしい相が現れている。

しかし、神意(宇宙意思)が意図した時代性( 経綸 )がいよいよ臨月を迎えて震動を始める年となるのだろうか。


出典・引用 : 干支歳時記、 生命心理学

      ※ 干支歳時記さんの頁は毎年楽しみに拝見しています。
        通常、引用文章は始まりと終わりが判るようにしてるのですが
        今回、壬と辰の箇所の半分位は干支歳時記さんの引用文を
        そのまま混ぜ込んであります。


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by nueq | 2012-01-02 20:59 | 文明
              
       
         
                       クリスマスって何の日?

                   バビロン暦とグレゴリオ暦と和暦
                          冬至と新嘗祭
                   七曜日の配列の不思議とマルドゥク



今日は、X’mas。
みなさん如何お過ごしでしょうか?

このX’mas、イエスの誕生日とされていますが、
ナザレのインマヌエルの実際の誕生日は春で、 多分4月9日。
4月8日は仏陀の誕生日、9日イエス、10日鉄腕アトムの誕生日と続くので、3連休にすべきだ!
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                 ( 画像出典:gooブログはじめました!

クリスマスの元々はミトラ教の「 冬至祭 」。
太陽が再生する聖なる日です。
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              ( ミトラ神 : 画像出典 再構築ロボ シーサー

ミトラ教がローマ帝国の国教であった当時、12月25日をミトラ神の誕生日と定めたのが元々ですが、ミトラ神は太陽神。つまり、太陽の死と再生の冬至のことです。 この冬至が25日にずれたのは、ローマ原暦(1年304日)→ ヌマ暦 → その後何度かの改暦を変遷するうちにズレが生じた結果であると考えられます。 逆に考えると、この時期、ローマにはまともに天文観察をできる技術がなかった。ということの証左となります。 さらに、ローマ帝国の国教がミトラ教からキリスト教に変わるのが4世紀初頭からで、アルメニア、グルジアに始まって最終的にローマ:391年のキリスト教の国教化となります。 この時、元の国教:ミトラ神の誕生日をイエスの誕生日へとすり替えたのです。

ちなみにローマ建国は前753年( ローマ王国 ~ 前509年 ローマ共和国 ~ 前27年 ローマ帝国 シーザー )で、この時、初代王ロムルスに採用されたのが、1年304日のローマ原暦。3月( Martius:マルティウス )に始まり12月( December:デケンベル )に終わり、1・2月はなく、新年は3月1日。種まきのタイミングで新年を決めてたようです。 その後、2代目:ヌマ王の時、1月( Jānuārius:ヤーヌアーリウス )と2月( Februārius:フェブルアーリウス)が12月の後ろに付け加えられ、1年364日となりますが、新年が1月1日となるのは、前153年。理由がまるでわかりません! なんだかラテン人のいい加減さ、大炸裂! って感じでしょうか。

同様に、日本の新嘗祭(にいなめさい)。新嘗祭は五穀豊穣を祝い、来年の豊穣を祈願する天皇の毎年の儀式の中でも最も重要なものです。
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  ( 新嘗祭で使われる稲を植えられる天皇陛下 今年5月24日 : 画像出典 Flower Life
    ( う~~~m.。。ちゃんと神式装束で裸足でどっぷり入って頂きたいものだ。)

現在はグレゴリオ暦11月23日に行われて、戦後のGHQマッカーサー思想の下で「 勤労感謝の日 」へと名称変更されました。今年の新嘗祭は天皇が儀式を執り行えなかったため、来年は凶作になるとの噂も飛び交ってますが、偶然の必然と云うのでしょうか? 全国にまき散らされたプルトニウムやウラン、コバルト、セシウム、ストロンチウムを始めとする数十種類の放射性物質が、植物に吸収されDNA損傷が多発するため来年は凶作になるとの予測が出ています。
さて、グレゴリオ暦11月23日の新嘗祭は、明治6年の和暦( 旧暦・農暦 )からグレゴリオ暦への変更時に固定化されたものですが、それ以前の、和暦では、霜月(十一月)第2の卯の日(中卯)とされていました。
              (あれ!? うどんの中卯って、冬至のことなの?)
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つまり、グレゴリオ暦12月21日頃の冬至の日の前後、と云うことになります。( 今年の二の卯は、グレゴリオ暦 12月17日で癸卯でした。)
この冬至が本来(縄文)の新嘗祭であり、正月元旦だったはずです。( 縄文時代にも稲作が行われていたことは近年広く知られるようになっていますが、最近では6000年前の栽培も明らかとなり、水田稲作も3500年ほど前まで遡るようになりました。)
それにしても、ラテン人の3日ズレに対して、日本人の1ヶ月ズレなので、日本人の方が、あ~~~~~、もっといい加減!

では、なぜ、「 卯の日 」なのか?
あるサイトの説明に依ると、

  十一月・・・子月  子:水の兄(陽)
  日付は・・・卯日  卯:木の弟(陰)

  「水」と「木」は五行では相生の関係、「水は木を生む」。
  また子は「陽」、卯は「陰」。陽は男性、陰は女性の性質とされるので
  子月卯日は月と日で男女和合での新しい誕生という意味もあります。
  また四季の五行配当を考えると

  水:冬 , 木:春

  水は木を生む ⇒ 冬は春を生む ・・・ 季節の循環がはじまる
  と「子月卯日」は様々な点で理想的な日なのです。

と、ありますが、これはどう見ても奈良平安時代に「 逆輸入 」された易学によって
後付されたように思えて仕方ありません。

なぜ、冬至ではなく、冬至近辺の第2卯の日にわざわざしなければならないのか?
「 何でも唐風 」って云う風潮に併せて、五行に無理矢理合わせようとする言葉遊びみたいなものが先行して本来の意味を失ってしまったのではないか? 数年前に、日本の祝日のいくつかが連休になるように変更されましたが、縄文 〜 弥生の「 太陽信仰 」を隠したかった勢力が権力を握った時代に、五行にすり替えたのかもしれませんね。

それに、なぜ霜月(十一月)が「 子 」の月になっているのか?
本来、1から12までを配当するなら、11番目の月は「 戌 」でしかるべき。
現在の易学や西洋占星術は古代の真正占星術から移植・転写される際に、転写ミスを起こしています。 これが「 当たるも八卦 」のことわざにもなるように不正確な占星術の原因です。
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                     ( 画像出典 : 第一风水

しかしこの転写ミスは、ミスではなく故意によるものだと思われます。 なぜなら、正確な占星術を駆使すれば、人の死も、戦さの際の必勝方法も見えてしまうから、この智慧は多くの人に知られてはいけないのです。 その為、真正占星術は、おそらくは一子口伝だけで伝えられたものと思われますが、長い歴史の中でそれも途絶えてしまい。。。

さて、十二支を五行に配当するのって、ちょっと無理があるような気もします。
和暦の冬と現行易学の冬を比べてみると

 和暦 冬 ・・・ 神無月・霜月・師走(10・11・12月)
 易学 冬 ・・・ 亥・子・丑(10・11・12月)

となり、易学が「 子 」を霜月とするのは果たして正しいのか?
それともどこかで書き換えが起きているのか?

和暦の、春一月(睦月)で、生命の始まり = 胎児 = 子(ねずみ)とするか、
現行易学の、太陽が再生する冬至の十一月を 胎児 = 子 とするか、
の考え方の違いですね。

ひょっとして、先に書いたヌマ暦で追加された Jānuārius:ヤーヌアーリウス と Februārius:フェブルアーリウス が December:デケンベル(10に月) の後ろ(年末)に加えられたのが、前153年に Jānuārius を新年、December を12の月と改めますが、中国易学はこの移動前の影響を受けてるのでしょうか? つまり、本来一の月であるべき「 子 」が「 11の月 」にあるのは、中国易学はバビロンからダイレクトにもたらされたのではなく、ローマからもたらされた可能性を示しているのか?

どなたか判る方いらしたら、教えてください。


      ※ 2012年12月19日 追記
        その回答がもたらされました。 求めよ! さらば与えられん! です。
        「 伯家神道が予言する 2012年 天皇家の終焉 」 の中盤に
        「 原初の太陽神と固有暦 」吉村貞司 昭和59(1984)年、六興出版 からの
        要点をまとめてあります。
        やはり、日本に固有暦が存在してたのですね。



ちなみに「 暦:カレンダー 」って、「 カルデア人 」が使っていたから「 カレンダー 」。
カルデアと云うと、ネブカドネザル2世の「 バベルの塔 」と「 バビロン捕囚BC597 」。 つまり、新バビロニア(バビロン第11王朝:BC625~BC539)のことです。( 旧約聖書の基になるカバラは、このバビロン捕囚中に成立しています。)
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 ( 16世紀の画家ピーテル・ブリューゲルが描いたバベルの塔 : 画像出典 堕天使のトリック

カルデア最後の王:ナボニドスは、月神を重視したことで、マルドゥク神官団と対立。
これがカルデア滅亡の引き金になったのか、新興アケメネス朝ペルシャのキュロス2世に
滅ぼされ、カルデアの神官(占星術師)たちはパトロンを求めて諸国を放浪、 ギリシャに渡り現在の西洋占星術と暦法の基となっています。

カルデアはバビロン第11王朝で、その前に10の王朝があり、その最初がシュメールです。 つまり、離散したカルデア人がギリシャに持ち込んだから「 カルデア人のカレンダー 」になっただけで、実際にはもっと前から連綿と伝えられてきたもの。

この「 カレンダー 」は、太陽暦のグレゴリオ暦とは違う、和暦と同じ太陰太陽暦。
カルデア(第11王朝)以前の第9王朝の頃にはすでに、19太陽年が235蒴望月と
ほぼ同じ長さになる(違いは2時間)ことが発見されていたようです。 つまり、19年に7回、閏月が入ると云う、和暦(旧暦・農暦)そのものがこの時代には完成したと云うことになります。

そしてカルデア 〜 ギリシアの当時の、新年は「 春分の日 」でした。
グレゴリオ暦の話題に戻ると、長いこと、オクトーバーが10月で、セプテンバーが9月って変!
オクトは「 8 」の意味で、オクトパス( タコ )の足8本と同じ意味だし、セプテンバーは、セブンの月なので、これは、ユリウスとアウグスティヌスが、自分の名前のJulyとAugustの31日の2ヶ月を無理矢理途中にねじ込んだから、7が9月にずれて、8が10月になったんだ。と、思ってましたが、3月が新年の「 一の月 」なら合ってたわけです。

ついでに7曜日について、なぜ

 太陽・月・火星・水星・木星・金星・土星

の並びになっるのか?
惑星の並び順なら

 太陽・水星・金星・月・火星・木星・土星

近い順なら

 月・金星・水星・火星・太陽・木星・土星

の並びにならないと行けないはずなのに、一体なぜ?
天文観測に優れていたバビロニア人にしてはどうも変?
と、長いこと思ってたのですが、ブラバツキー原著・東條真人編訳「 シークレット・ドクトリンを読む 」の中にその解答を見つけました。
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                          ( 絶 版 )

カルデア神学では、天体を天動説に基づいて、遠い順に

 土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月

と、配列し( 火星と太陽、金星と水星の位置関係が現代天文学と逆転)、これをカルデアン・オーダーと呼びます。 そして、下図のように円の上に土星から順に配列し、太陽を頂点に左廻りの一筆書きで結ぶと

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        ( 画像の出典:ミトラ教研究.天使七星学:占星術本来の姿 東條真人

 日・月・火・水・木・金・土

の七曜配列:七芒星が誕生します。

やっとわかって一安心。 ふぅ~~~。。。
理由が分からないと気持ち悪くてお尻がむずむずしてしまう症候群なのです。
                                                (^o^)ゞ


さて、上記に「 マルドゥク神 」と記しましたが、マルドゥークと云えば「 二ビル 」。そして木星。
西洋占星術の12宮は、元々は木星の公転周期12年を基にしたもので、ここから十二支・十二辰も誕生しています。

木星 = ジュピター(英語:ローマ語)← ゼウス(ギリシャ語)← マルドゥク(カルデア語)と変遷しますが、マルドゥクとはバビロニアの最高神。
その名を「 ベール・マルドゥク 」と云い、「 我が主 」の意味。
「 ベール 」のフェネキア読みが「 バール 」。
父親は至高神エル。母親はアシュラ。
祖母神ティアマートの身体を引き裂いて天地を創造する神ですが、そこに至る傍若無人の所業は、まるで素戔嗚神そのもの。 スサノオが御世話になった大気都比売神を切り殺すと、そこから五穀豊穣が芽生えたと云うくだりもそのままそっくりです。また、 ティアマトはドラゴンの姿で描かれ、 マルドゥク = バール = 牛の神がその龍体を引き裂くのは、アーサー王を始め世界各地に残る龍(蛇:ナーガ)トーテム族を征服する牛トーテム族の物語で、スサノオの八岐大蛇退治も同じ流れの神話です。
バール神は 「 牛 」 とされていますが、本来は嵐と海の神様です。 まさにスサノオそのもの。
シュメールに元々あったバール神に 「 牛 」 の性格が付得されるのは、BC1894年のアムル人(アモリ人)による占領 = バビロン第一王朝以降であると思われる。
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          ( ティアマトを殺すマルドゥク : 画像の出典:グレゴリウス講座

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         ( 素戔嗚の八岐大蛇退治 : 画像出典 日々是研究 ~アトリエ・虹

そういえば、スサノオとは、シュメール南部(カルデア原郷)にあった都「 スサ 」の王とも、また、牛頭天皇とは、ヤハウェの先輩格:バール神とも云われています。
ヤハウェ(エロヒムの一人:エホバ:アッラー:ゴッド)とは、バビロンから失敬した最高神:エルの複数形(エロヒム)の内の一人なのです。(ヤハウェの初出はモーゼの出エジプトの物語で、BC1260年頃・バビロン第3王朝の時期:アブラハムのBC1850年頃にシュメールを征服してバビロン王朝がスタートしています。)
ところが、ユダヤ教の神・砂漠と嫉妬の神:ヤハウェは、牛と雨と豊穣の神:バールを封殺し、その地位を簒奪します。 要するに嫉妬の神・契約(=脅しと詐欺)の神:ヤハウェとは、バール神 ( 或いはバール = マルドゥクの息子:ナーブ ) の原像にお白いを塗りたくった厚化粧の神とも云えるでしょう。 この似非キリスト教に大正・昭和・平成天皇帰依してきましたが、宇宙万物を祀る神道の総司祭である天皇が厚化粧の嫉妬神の教徒であって良いはずはありません! その元となるユダヤ教は、 紀元前597年、新バビロニアのネブカドネザル2世によって南ユダ王国が滅ぼされ、バビロン捕囚の際にバビロンの地で誕生した旧約聖書の原型(カバラ)の中でヤハウェと云う神が創作され、唯一絶対神として位置づけられた比較的新しい新興宗教なのです。つまりイスラエル王国が北イスラエルと南ユダに分裂する前のダビデ・ソロモン時代に神殿で祀っていたのは、ヤハウェではなく、バール神だったのです。そのことを現代のアシュケナジー・ユダヤとキリスト教徒たちは知らされていません。すべては、旧約聖書の執筆とイエス・キリストの教えをねじ曲げて初代ローマ法王となった嘘つきペテロのなせる技といっていいでしょう。 ユダヤ教の人もキリスト教の人もイスラム教の人も、ミトラ教の移植であるバラモン〜ヒンドゥ教の人もそろそろ民族の攻防と宗教の発生・意味を確認し、宗教が単なる民衆支配の為の洗脳装置であることに気づく時節となっています。
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                     ( バチカン サン・ピエトロ大聖堂 )

さて、建速須佐之男命ですが、スサノオと大山祇(海運とお酒の神様)の娘:神大市比売の間に生まれたのが大歳神 (宇迦之御魂神=御稲荷さんのお兄さん )。
年末になると登場する神様ですが、これがなんと!
木星の神様!
一年ではなく、大年(12年)を司る神様だったのです。
12年、そう、十二支です。
この十二支に陰陽・五行の十干を組み合わせた60年が易学の一周期。
来年の干支(えと)は、壬辰(水の兄え:たつ)で弥生に閏月が入りますから、グレゴリオ暦4月21日〜5月20日が閏3月となり、長い春の年になりそうです。

さて一体、「 古代真正占星術 」は、いつどうやって、
西洋占星術と易学に分離したのでしょうか?
そして、その元はどこからやって来たのでしょう?

< 続く >



おまけ

【村田春樹】 何故天皇陛下はお忙しくなってしまわれたのか?【天長節】

「 宮内庁に出向する職員が出身官庁関連の御行幸を勝手に増やしておきながら、
『 お忙しいから宮中祭祀を削れ 』 とは何事か!」
本末転倒とはまさにこのことである。



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by nueq | 2011-12-25 14:06 | 文明

覇権文明の終焉と 新しい地球文明を デザインする


by nueq
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