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伯家神道が予言する 2012年 天皇家の終焉


           伯家神道が予言する 2012年 天皇家の終焉

    
2012年の大イベントと云えばフォトンベルトとマヤンカレンダーだが、もうひとつ重要なイベントが予言されている。
皇太子が天皇に即位する際行われる「 祝(はふり)神事 」が100年間、或いは4代行われないと天皇家は滅びる。と云う伯家神道の言い伝えで、今年の7月30日をもって100年目となる。

伯家神道(白川流神道)は、平安朝初代桓武天皇より16代目:歴代65代花山天皇(在位 984〜986年)の孫:延信王が臣籍降下して神祇官の長官である神祇伯に任官されて以降、その子孫が神祇伯を世襲し、白川伯王家を名乗るようになる。

この時代どんなことがあったのかと云うと、
  935年 - 平将門・藤原純友による承平天慶の乱(- 941年)。
  986年 - 花山天皇を廃した藤原道長全盛時代( - 1027年)。
 1002年 - この頃、紫式部の『源氏物語』が成立。 安倍晴明vs蘆屋道満 対決。
 1051年 - 安倍貞任:前九年の役( - 1062年 源氏・平氏の台頭)
 1054年 - 7月4日超新星爆発。「かに星雲(M1)」
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海外では
  926年 - 契丹(遼 - 1125年)が渤海を滅ぼす。
  936年 - 高麗が新羅・後百済を滅ぼして朝鮮半島を統一。
 1096年 - 第1回十字軍出発。

と、平安藤原王朝全盛期にして安倍晴明が活躍した時代と同時期となっている。
海外では、唐から宋へと移り、欧州ではフランク王国滅亡後の神聖ローマ帝国の時代から、インディ・ジョーンズやダ・ヴィンチ・コードのモチーフとなった十字軍(テンプル騎士団)の時代へ。

白川伯王家が世襲した神祇伯は、毎年の新嘗祭を始め、様々な宮中祭祀のすべてを取り仕切る役職だが、明治維新の直後、神道を簒奪し「 明治神道 」と云う新興宗教を開始するにあたって、白川家の王号は廃されて当主:資訓は子爵となるが、その子:資長に子がなく断絶した。 

問題は、皇太子が天皇に即位する時行われる「 祝(はふり)神事 」にある。 大室寅之祐が明治天皇となる際にはこの 祝神事を受けたようだが、明治の始めに神祇伯が廃される時、「 祝神事 」の破壊の危険性が察知され、関係書類や道具は秘匿された。( 現在も行方不明。)
こうして大正天皇(1912年7月30日即位)以降の天皇はこの即位の神事を受けていない。 白川伯王家には、「 祝神事が100年断絶、或いは4代続けて受けない場合、天皇家は滅びる。」との言い伝えがあり、今年の7月30日をもって丁度100年を迎える。 時あたかも平成の終わりを告げようとしており、癌を煩った平成天皇がその病身を東北被災地に運んで被爆し、気管支炎など様態が悪化したとも伝えられているが、後を継ぐ皇子たちの間で繰り広げられている「 平成の壬申の乱 」が長らく話題となって来た。しかも今年の干支は十二支の漢字は違うものの同じ「 じんしん = 壬辰 」の年。

この件では、デヴィ夫人が自身のブログで11月15日「 現皇太子を廃嫡『皇太子位を秋篠宮文仁殿下へ移譲』署名運動 国民は我慢の限界 」とぶち上げて話題となっています。

明治簒奪政府は、なぜ「 祝(はふり)神事 」を廃絶したのか?
明治以降、皇太子の教育係が欧米のキリスト教宣教師であることと関係しているように思えてならない。 しかも、第2次大戦後、皇室予算の削減と云う表向きの理由で宮家が廃絶されたが、発生論的には、雄系(男系)だけで家督を継げば3代の後には断絶する可能性が極めて高いことが知られていて、つい最近まで、まさにそのような展開となっていたのです。 明治維新の際のイギリス、第2次大戦後のアメリカによるかもしれないその深謀遠慮が効を即し、世界で最も古い皇統の断絶が目前に迫ろうとしていたのですが、そこに誕生したのが、秋篠宮の悠仁親王誕生。 これによりかろうじて男系皇統は命脈を保った訳です。 がしかし、125代続いた天皇家は決して男系による万世一系ではなく、むしろ女系でいくつもの王朝の交代をつないで来たのが実際のところです。

さて、白川伯王家ですが、この「 伯 」の一字が気になります。
金正恩の父親ってホントに金正日? 」のところでも書きましたが、神武天皇に先立つウガヤフキアエズ(鵜草葺不合)王朝です。
官製偽書である古事記・日本書紀以外の多くの古史古伝では、50〜70代続いた王朝とされていますが、鹿島・松重・中原史学では、アナトリア半島(トルコ)タガーマのハラン(高天原)から東遷して来た流れがウガヤフキアエズ王朝であり、現在の満蒙・渤海・遼東遼西・朝鮮半島辺りにいた濊貊(かいはく)・扶餘族であり、その末裔が現日本の天皇家である。としています。
問題は、この「 濊貊(かいはく) 」の 濊族と貊族ですが、貊族は「 伯族 」とも書き、その王:饒速日(ニギハヤヒ)が一族を率いて日本に亡命してきたとする研究者も多くいます。 つまり、ハランの初代アマテル王(天照)の皇統を受け継ぐニギハヤヒの伯族が神武(イワレヒコ)の軍門に下り、その即位の儀式を執り行う神官になった。と云うことを意味してるのでしょうか? 平城新羅王朝から、濊貊扶餘の末裔である平安百済王朝に移行して安泰期に入ったこの時期に、神祇伯が中臣氏(イシン・東表・任那・新羅系)から 伯族・百済系延信王に移された。と推理しますが如何でしょうか? この頃、占いの中心が 殷・東表 (とうびょう → 後に豊国 → 豊前・豊後へと推移 )系の亀卜(きぼく:マラッカ海峡辺りだけに棲息する亀の甲羅を焼いて占う)から陰陽道へと移行している点も関連してるように思えます。
ちなみに、中国皇帝は即位の際、泰山(たいざん:山東半島)の山頂で天帝から地帝権を授かる儀式を執り行いますが、これを初めて行ったのが、ペルシャ・バクトリア系の秦の始皇帝。 漢の時代には初期には泰山に登ってたようですが、以降の皇帝はあまり登らなくなったようです。
このウガヤフキアエズの皇統にせよ、始皇帝の皇統にせよ、その王権神授の様式にはシュメールや、その後のミトラやゾロアスターを奉じるアーリア系の影響が感じられますが、しかし、日本にはそれに先立つ縄文文明(実はあまり知られてないが極めて高度な科学文明)があり、日本の皇統には、大嘗祭(だいじょうさい)の添い寝の儀式に感じられるアニムズム的縄文様式も習合してるようにも思えます。 

大嘗祭と新嘗祭(にいなめさい)について、「 クリスマスって何の日? ・・・バビロン暦とグレゴリオ暦と和暦 」 に

 冬至が本来(縄文)の新嘗祭であり、正月元旦だったはずです。
 ・・・なぜ、(新嘗祭を)冬至ではなく、冬至近辺の第2卯の日に
 わざわざしなければならないのか?
 「 何でも唐風 」って云う風潮に併せて、五行に無理矢理合わせようとする
 言葉遊びみたいなものが先行して本来の意味を失ってしまったのではないか? 
 数年前に、日本の祝日のいくつかが連休になるように変更されましたが、
 縄文 〜 弥生の「 太陽信仰 」を隠したかった勢力が権力を握った時代に、
 五行にすり替えたのかもしれませんね。

と、書いたが、「 求めよ! さらば与えられん。」で、先程探し物をしていたら偶然「 原初の太陽神と固有暦 」吉村貞司 昭和59(1984)年、六興出版 の全ページコピーが出て来た! そして、そこに上記の推論への解答が吉村氏の詳しい調査で記されていた。

・ 中国から暦が入って来たのは、推古10(602)年10月で元嘉暦と云う。
・ 宋の元嘉20(443)年に作られた暦。
・ 持統天皇4(690)年、初めて旧暦11月24日に大嘗祭。
・ 以降、大嘗祭は11月下卯の日に行われた。
・ 持統以前の大嘗祭(天皇即位式)及び立太子は、1月1日〜15日。
・ つまり即位式は持統以前は、神武以来正月1日が原則。
・ 持統は1月1日と、11月24日の2回、即位式をあげている。
・ 持統以前は、新嘗 = 大嘗 = 即位式 = 冬至 = 固有暦 正月一日だった。
・ 持統以降、即位式が大嘗祭(新嘗祭)と分離。
・ 明治のグレゴリオ暦導入で新嘗祭と大嘗祭が分離され、
  新嘗祭はグレゴリオ暦の11月23日となった。

と、まさにドンピシャで、持統天皇が中国暦を導入する以前は、日本の固有暦(太陽暦)があり、冬至が正月となっていた。 1月1日ー11月23日=38日 となるので、固有暦の夏至は、6月21日ー38日=5月15日頃。
吉村氏は夏至の田植えも調査していて、

 中はずらせ、半夏は待つな。

と基本的には全国的に云われていることも突き止めているが、「 五月の中 」が夏至とされてるところからも上記の計算と一致する。「 半夏 」とは夏至から10日目の「 半夏生(はんげしょう)」のことで、この時期雑草が生え始めるので、その前に稲の根を張らせて雑草が生えにくくするのである。 夏至に田んぼに入ると足が棒のようになる病気になり易いとのことで、5月5日の節句の菖蒲(本来は真菰の可能性大:マコモ湯>菖蒲湯は、細菌を寄せ付けない。)は、夏至(固有暦5月15日頃)の祭りが置換された上に五月五日のゾロ目にズラされたものと推測される。 現代では田植えはだいたい5月の連休辺りにするところが多いが、昔は夏至の頃(今の6月終わり頃)にしていたのだろう。

余談になったが、余談ついでに、精神世界で「 グランディング 」と云う言葉が語られるが、 グランディング に最も効果が高いのが田植え。 無農薬のとろっとろの泥の田んぼに素足で入って、苗を手植えする時、天と地のエネルギーがダイレクトに注ぎ込まれてくる感覚を身体全体で味わうことが出来ます。「 壬辰の年、2012年とは?」で書いた「 申(さる)」の字の、田んぼに突き刺さるエネルギーそのものだ。 スピチュアル・ジャンキーなみなさん、ぜひ今年は素足で田植えを体験してみてください。 ふわふわゆらゆらが消えてバシッーーー! と、一発でグランディングできます。 但し、絶対に無農薬の田んぼで。 出来れば3年以上無農薬の田んぼ。そしてもし可能なら山の中腹の棚田がお薦めです。

冬至と固有暦の話に戻って、そう、推古天皇(実在すればの話だが:その時期)以前、つまり蘇我氏(と記紀には記されている勢力)全盛時代以前の古墳時代 〜 弥生時代には、日本固有の太陽暦が存在していたことが吉村氏の調査で明らかとなったのです。 この固有の太陽暦は、それ以前の一万年続いた縄文時代から使われて来たものでしょう。 現在の神社の元宮として磐座(いわくら)が語られたりしますが、磐座は縄文時代の壮麗な石造建築物が破壊された跡であることを発見したのが、京都造形大学名誉教授で世界的な建築家:渡辺豊和さんです。 昨年出版された新著「 古代日本のフリーメーソン 」<(出版社が勝手に付けたタイトルと推測され、なぜ学研ムーブックから出版されたのか不思議な気がする優れた内容の本です。)に縄文時代の太陽信仰と驚異の巨大石造建築に関する調査・考察がまとめられています。(以下の3画像は同書より)
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                    現在の足摺:唐人巨石遺跡
                      ( 撮影:渡辺豊和氏 )

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          6000年程前に築造された唐人ポリス(唐人遺跡)の再現CG
                       ( 制作:渡辺豊和氏 )

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             縄文時代の 「 太陽の道 」 夏至線・冬至線・春分秋分線
      この交点に巨石群・ストーンサークル・ピラミッド・古い神社等が配置されている
                    基準点は三輪山の張り出し台地
                       ( 制作:渡辺豊和氏 )


話しをもう一段「 祝神事 」に戻すと、
皇統には、血統と霊統の継承があり、たとえ血統が途絶えても霊統が継承されれば皇統は繋がるとも云われています。 125代の天皇家が男系による万世一系でないことは明らかですが、場合によっては女系でも断絶してる可能性もありますがしかし、霊統によって円天地方森羅万象を祀る祭祀王としての天皇位は受け継がれて来たのでしょう。 
少なくとも縄文時代にはそのようであったと感じます。
( 「 天皇 」と云う呼称は、持統天皇の時代に創られた。)
時代は神武王朝がその役目を終え、新たな王朝へと移行しつつあるのでしょうか?


暦は、無意識レベルで「 時間 」を司るシステムです。
暦(時間軸)の乱れがあらゆる不協和音の原因となっています。
暦(時間軸)を正し、天地(空間軸)をつなぐ祭祀を縄文の時代に戻す時、何かがゆっくりと動き始め出すかもしれません。

時空、別の言葉で云うなら宇宙。
「 宇 」は空間のことで、「 宙 」とは時間のことです。
地球上の時間は、太陽や月を始めとする天体の動きで生成されています。
そんな太陽系内の天体の動きを上から眺め下ろせるカレンダーがあります。
地球暦:ヘリオコンパス 」。
僕は毎日トイレに腰を降ろして太陽系を眼下に望んでいます。

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                        ( 1月3日の太陽系 )




                             続編

              続報 : 伯家神道が予言する 2012年 天皇家の終焉
                        伯家神道の予言は捏造?
                  



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by nueq | 2012-01-03 05:34 | 文明

覇権文明の終焉と 新しい地球文明を デザインする


by nueq
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