2012年 05月 13日 ( 2 )

      
     
 

               マヤ暦はまだ5000年先まであった。

          フォトンベルトとマヤン・カレンダーのマヤかしを剥ぐ

                            前 編


                     < 後編 : フォトンベルト編 へ
               マヤンカレンダーもフォトンベルトもNASAが仕掛けた
                 2012年12月22日 米ドルが紙切れになる日



                       前編 : マヤンカレンダー
                    2012年12月19日 加筆修正版
                   マヤンカレンダーとマヤ暦と歳差運動
                         マヤ文明のルーツ

                            は、こちら


米ボストン大学などの研究チームは、ガテマラにある9世紀初期のマヤ文明遺跡の壁画に、月や惑星の周期を計算したマヤ最古のカレンダーがあるのを発見し、11日付の「 American Science 」に発表された。( 産経 iZa!
「 2012年人類滅亡説 」がまことしやかに流布しているが、精査したところ、終末を示すような計算結果は見当たらなかったという。 マヤ最古のカレンダーを精査した研究チームは「 逆に、世界には7000年は先があると考えていたようだ 」としている。

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        グァテマラ北部にあるマヤの主要都市 San Bartolo から8km地点の
              Xultún(シュルトゥン?)遺跡で発見された壁画(上)
                         その再現図(下)


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          北の壁から見つかったマヤ最古の「 Long Count 」カレンダーで
           7000年先(現在より5000年先)までの計算がされている。


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     シュルトゥン遺跡の入口と壁画を彫り出すボストン大学のウィリアム・サトゥルノ博士

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               San Bartolo & Xultún 遺跡の場所(オレンジ点)



この発見によって「 マヤン・カレンダー = ホセ・アグエイアス・カレンダー 」の2012年12月でマヤ暦が終わると云う戯言(たわごと)は完全に息の根を止められたことになる。

いずれ当ブログに掲載しようと思っていたのですが、2007年11月に、ある精神世界関連の科学雑誌向けに「 2012年のウソと太陽黒点活動 」と云う記事を書きました。 後半部分は「 太陽黒点活動と地球文明の興亡 」と云うタイトルで発表されたものの、精神世界の2大稼ぎ頭である「 フォトンベルト と マヤン・カレンダー 」を完全否定する前半部分はカットされてしまいました。
今回のニュースを契機にその前半部分を5年ぶりにみなさんにご紹介します。




                 2012 年のウソと真実

               フォトンベルトとマヤ暦と地球温暖化


2012年12月22日。5年後のこの日は、マヤ暦最後の日とされ、この時期、地球はフォトンベルトに完全に包まれてアセンションに至ると云われています。
マヤ暦とフォトンベルト。
この二つの話題が偶然一致した2012年には他にも大きな節目を迎えます。

 ・ 2013年に伊勢神宮の式年遷宮(2012年の暮には新神殿は完成)。
 ・ マヤ暦最後の日:12月22日の翌日が平成天皇の誕生日。
 ・ 伯家神道:天皇即位に際しての「 祝神事 」100年不履行で大難。
 ・ アメリカ大統領選挙、ロシア大統領選挙。

こうした偶然の一致が重なる2012年の暮ですが、地球規模で何かが起こる可能性を示唆しているのが冒頭のマヤン・カレンダーとフォトンベルトです。
マヤン・カレンダーは本当なのか?
フォトンベルトは実在するのか?


             マヤ暦2012年12月22日の意味するもの

マヤ暦と云うと、ホセ&ロイディーン・アグエイアス夫妻の「 マヤンカレンダー(13の月:コズミックカレンダー)」で、7月25日を「 時間のない日 」とし、2012年12月22日でカレンダーは終わり、人類は次元上昇すると云われています。しかしこのアグエイアス夫妻のカレンダーには他ならぬマヤ族末裔の長老たちから異論が発せられています。
アグエイアス夫妻の「 マヤンカレンダー(13の月) 」とは、1980年代にマヤ族の末裔の一人であるフンバツ・メンから得たマヤ先住民の情報や、1950年代のマヤ文明研究の権威:エリック・トンプソンの文献、そして彼自身のチャネリング情報などを併せて創り出した独自の暦です。つまり「 マヤ暦 」そのものではない
ということにまず着目する必要があります。

  ※ 先に話を進めるにあたって、
    アグエイアス夫妻の「 マヤンカレンダー = アグエイアス・カレンダー 」と
    本来の「 マヤ暦 」は別物であるという観点から
    名称も「 マヤンカレンダー / マヤ暦 」 と区分して以降記します。

マヤ文明は、16世紀、スペインの侵略によって滅びます。
コロンブスに始まる大航海時代です。(1492年、新大陸発見)
1562年7月、司祭ディエゴ・デ・ランダは、「 異教徒 」マヤの文明を破壊し尽くします。1562年というと、日本では織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を破った2年後、松平元康(後の徳川家康)と清洲同盟(織徳同盟)を結んだ年です。
アメリカ大陸にはスペイン国王直下のカトリック修道会:フランシスコ会が、アジアにはバチカン別働隊の修道会:イエズス会のフランシスコ・ザビエルが進出し、やがてはイエズス会:バレンチノ神父も絡んだ織田信長爆殺へと繋がって行きます。

また、マヤ文明を初めてひもといたエリック・トンプソン氏は、当時研究論文が一切なかったためランダ司祭の残した資料を基にマヤの末裔たちから聞いた話を加えてマヤ文字と文明の解読を行いましたが、弾圧されたマヤの子孫たちが本当のことを話すことはありませんでした。 しかもトンプソン氏自身がキリスト教のハルマケドン文明史観からマヤ暦を解釈したため、「 マヤンカレンダー 」はすでにこの時点からバイアスがかかっていたようです。

アグエイアス博士の「 マヤンカレンダー 」では7月26日を一年の起点と定めていますが、これはトンプソン氏の解釈であり、7月26日とは本当はマヤでは農業をするにあたっての重要な日であり、マヤの元旦ではありません。 本当のマヤの暦の基点は春分の日の後の最初の満月の日とされています。

また、マヤの考え方には、キリスト教的な終末論(ハルマゲドン)はありません。

2012年辺りででマヤ暦が終了している理由は、そこから「 時間がなくなる 」というより、オルメカ文明に続くマヤ文明が存続した紀元前後~AD1562年が属する周期を最後に記したとする方が自然ではないでしょうか?

では、2012年をマヤ暦の中で検証してみましょう。
マヤ暦の一周期25, 630年は、地球の歳差運動:25, 920年と近似です。

マヤ文明が歳差運動を正確に読み取っていたかどうかはまだよく判りません。
ミランコビッチによれば、歳差運動は1 万9000 年、2 万2000 年、2 万4000 年の3つの周期の組合せから構成され、また、歳差を作る自転軸の傾斜角も4 万1000 年の周期で22.1 度から24.5 度に振れていて、歳差周期はこれらの組合せで増減を繰り返しています。
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さて、マヤ暦の長周期は1, 872, 000日(÷365. 25=5125. 26年)で、グレゴリオ暦のBC3114年8月11日に始まり2012年12月21日で終わるとされています。(21日説と22日説があるようです。)
この5125. 26年でマヤの一周期25, 630年で割ると5. 14巡。
歳差運動の25, 920年では、5. 06巡となります。
この計算はマヤで使われた暦の長周期:1, 872, 000日が、一定の周期であるとして歳差運動を割ったものですが、村松誠一郎と云う方は「 黙示録「天空」カレンダー 」(中央アート出版)で長周期が一定でないとの説を掲げ、次のような区分を記しています。
  第1周期)BC20239~BC16231(4008年間)
  第2周期)BC16231~BC12221(4010年間)
  第3周期)BC12221~BC.8140(4081年間)
  第4周期)BC.8140~BC.3114(5026年間)
  第5周期)BC.3114~AD.2012(5126年間)
と、云う区分となっていますが、なぜそれぞれの周期の長さがばらばらなのでしょうか?
村松氏の著書の中でその出展が明らかにされていないのと、著者に連絡不能なため、根拠は不明ですが、占星術の12宮の区分の仕方にその秘密があるのかもしれません。つまり、実際の星座の位置やサイズと、黄道を12等分した長さはきれいには比例しないと云うことです。占星術は星のエネルギーが投影(刻印)されたパターン解析とも云えますので、実際の星のエネルギーを読み取ろうとするなら、黄道を12等分したものではなく、星座の実際の位置関係を重視した方がより正確になります。この5つの長周期がばらばらなのはのそのせいかもしれませんが、その詳細な分析は本題からずれるのでここでは省略します。

占星術上の星座の巡りは、春分の牡羊座から始まって魚座で終わります。
歳差運動に於ける星座とは、地球の地軸の首振り運動に伴って春分の際の太陽の位置を云うもので、通常の占星術の星座の巡りとは反対に巡ります。
ですから、魚座の次が現在の水瓶座となっています。
2012年で暦が終わる、つまり歳差運動に伴う大きな周期が終わるとするなら、それは水瓶座で始まり、水瓶座で終わるのでしょうか?
もちろんこれはマヤの暦が歳差運動を考慮したものであり、マヤには終末の考えはないと云う視点に立った上でのことですが、マヤの暦がどこからもたらされたのかと云うことも気になります。
壁画に宇宙船の内部のような絵があることから、宇宙人(ケツアルコトアル)から直接教わったともされていますが、マヤ文明の前には、オルメカ文明(BC1250~紀元前後)があります。さらに、アマゾンの奥地:ボリビア ~ ペルー ~ ブラジル域には、BC3000年頃と思われる古代文明の跡も発見されています。

米国のオクラホマ中央大学外国語学部の許輝(マイク・クシー) 教授と、中国歴史研究所の陳漢平( チェン・ハンピン) の研究が『 USニュース&ワールドレポート 』で紹介された記事には、「 オルメカ文明の陶磁器、翡翠(ひすい)加工品、彫像の実際の標本写真に、約百五十の象形文字を発見した。< 中略 > 彼はこれらの模様のデッサンを中国本土の古代文字専門家たちのもとに持ち込んで検証させた。彼らのほとんどが、それらが中国の甲骨文字や青銅器の碑銘中で使用される文字に酷似していることに関して、意見の一致をみた。< 中略 > 許は『 中米で最初の複雑な文化は、商(殷)王朝末期に難民として海を渡って逃れてきた、一団の中国人の助けを借りた上で出現したかもしれない。オルメカ文明は紀元前千二百年頃に発生したが、それは周の武王が商最後の支配者である紂王を討ち、商王朝に終焉が訪れた時期と一致する 』と信じている。」と掲載されているようです。

そして、この商(殷)とは、「 商い 」をする支部(支那)地域のことで、その本拠地は、国東半島(宇佐神宮)にあったとするのが、松重楊江・中原和人氏( 「 教科書には絶対書かれない古代史の真相 」 「 検証!捏造の日本史 」 共に たま出版 )であり、甲骨文字を記した亀の甲羅は必ずマレー半島域のものが使われたと云うこともマヤ文明成立に何らかの関連を持っているのかもしれません。

    ※ 2012年12月12日 追記
      殷の甲骨文字は、シュメールの楔形文字が
      シュメールの貿易相手だったインダスで改良されてインダス文字となり、
      シュメール部族の移動に伴って日本・支那の地に持ち込まれ、
      支那で漢字へと組み立てられた。
      と、松重楊江・中原和人氏が引き継いだ 鹿島史学の
      鹿島昇氏が明らかにしています。
      つまり、オルメカの甲骨文字状のものは、
      シュメール人とドラビダ族の混血人種がマレー辺りから
      南太平洋海流に乗ってアメリカ大陸にもたらしたものと考えられます。
      であるなら、マヤ暦の元は、シュメール暦である。
      と云うことになり、現地では失われた古きシュメール暦が
      保存されていたのかもしれません。

さらに、古代エジプト文明とマヤ文明の関連や、占星術誕生の地といわれているバビロニアのことも考慮すると、マヤ暦の起源を求めるにはこれらの先行文明との関連や影響をも考慮する必要があるでしょう。

さて、村松氏の5つの周期を合計すると、22, 251年となり、マヤの一周期にも、現代科学の歳差運動周期にも足りません。 歳差運動の25, 920年を12宮で割ると、各宮(星座)の期間は、2, 160年となります。

   22, 251年 ÷ 2, 160年 = 10. 30宮

つまり、村松氏の周期では第一周期の起点は、まがいものをはぎ落とす、完全性の山羊座が起点となります。つまり、終点も山羊座です。

  マヤ 25, 630年 - 22, 251年 = 3379年(AD5391年)
  歳差 25, 920年 - 22, 251年 = 3669年(AD5681年)

となって、次の超大周期に入るまで、まだ3600年以上の時間が残されていることになります。これだけの時間があれば、強制アセンションに依らなくても、この低次元な人類の意識レベルも、水瓶座と云う神秘の訓練期間を経て完全性に至ることは可能に思えてきます。

  「 山羊座 」に始まり「 山羊座 」に終わる。
  完全に始まり、完全で終わる。
  αでありΩである阿吽の呼吸。

をマヤの暦は伝えているように思えてきます。

2012年は、完全性へと文明がシフトしていくことを暗示している起点として位置づけることが出来るようです。
ホセ&ロイディーン・アグエイアス夫妻による「 マヤンカレンダー 」は、「 マヤ暦」とは別の独自のものであり、キリスト教原理主義史観のバイアスがかかっているものではあるものの、ローマ・ユリウス ~ グレゴリオ暦によってゆがめられた時間の尺度(暦)を見直す契機ともなり、人類が新しい意識へとシフトするための手引きとして大きな貢献をしたと云えるでしょう。



                            《 後編
                         フォトンベルト編へ




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                .
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by nueq | 2012-05-13 14:44 | 文明 | Trackback | Comments(4)
      
     
 
                          《 前編より 》


      フォトンベルトとマヤン・カレンダーのマヤかしを剥ぐ : 後編



                      フォトンベルトとは?


フォトンベルトとは、フォトン(Photon:光子)が銀河系のある場所に充満している帯状のエリアのことで、そこを地球(太陽系)が通過する時、次元上昇が起こりアセンション(イエスが達成した昇天)に至ると云われています。
そして、地球(太陽系)は、昴座(プレアデス星団)のアルシオーネと云う恒星を中心に26, 000年の周期で公転していて、26, 000年に一度そのフォトンベルトを通過、このフォトンの帯の中を通過するのに1000年を要すると云われています。

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地球は太陽の周りを公転しているので、太陽系の進行(アルシオーネに対する公転)に伴って、地球が太陽の進行方向の前方に位置する時には地球は初期の段階からフォトンベルトの中に存在しますが、後方に位置する時には初期においてフォトンベルトのエリアからは外れてしまいます。この地球が最初に少しだけフォトンベルトの中に入ったとされるのが1980年代ですが、地球の太陽に対する公転のため、フォトンベルトへの出たり入ったりを繰り返し、やがてすっぽりと入り込むのが2012年とされています。

     ※ 2012年12月12日 追記
       この点を多くの人が誤解しています。
       12月23日にフォトンベルトに入るのではなく、
       太陽を公転する地球の公転軌道がすっぽり入ってしまう。
       と、されてるに過ぎず、フォトンベルトには1980年代から入ってる。
       と、されているのです。

フォトンベルトは、日本には当初インターネットを通じてその情報がもたらされました。1996年のことです。ハレー彗星の発見者が宇宙空間に光るエリアを発見したと発表され、これがフォトンベルトであるというものです。

その後、インターネット上に当時存在した「 Cyber Stone 」と云う精神世界~ニューエイジのあらゆるテーマを非常にわかりやすく詳細にまとめたホームページでもフォトンベルトのことが紹介されます。作者不明のこのホームページは現在では閉鎖されています。
そして2002年5月には、渡邊延啓氏の「 フォトンベルトの謎 」(三五館)が出版され、フォトンベルトの話題は一気に一般化します。
渡邊延啓氏の著書の内容は「 Cyber Stone 」の内容の丸写しというシロモノでした。 おそらくは著書に登場する風水師のM師(当人もその後フォトンベルトの著書を著すが)によってそそのかされて書いたものと推測されます。

さて、フォトンベルトは本当に存在するのでしょうか?
或いは、確認されたとされる証拠とはどのようなものだったのでしょうか?
まず、一番初期の段階で、フォトンベルトの写真が公開されていました。
ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した云うもので、うっすらと黄金色に輝くエリアが存在する写真でした。当時、このくらいの画像ならPhotoShopで簡単に作ることができるとうわさしあっていたものです。

  ※ この写真については後日時間のあるときに
     再現してアップしますのでお楽しみに!

ところがある時期からこの写真がインターネット上のどこのサイトからも姿を消してしまいました。その頃、件のCyberStoneで取り上げられるようになりますが、そこで使われていた写真は、1999年にハッブルが撮影した(宇宙マニアにはおなじみの)銀河:NGC4650Aの写真でした。
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当初のフォトンベルトの写真が入手不能になったので代用したのだなと思いましたが、その後のフォトンベルト関係で登場する写真はNGC4650Aとなりました。

NGC4650Aは、ご覧の通り銀河です。地球から1 億6000 万光年の距離にあり、10億年以上前に大きな楕円銀河の中心に直角に小型の銀河が衝突して出来たもので、同様のポーラリングを持つ衝突銀河は100個程発見されているようです。

すばる座(プレアデス星団)は、太陽系と同じ天の川銀河の中のオリオン腕にあり、地球から450光年の距離です。
また、太陽系がアルシーネ( プレアデス星団の最も明るい星 )を中心に26, 000年の公転軌道を描いていると云う話ですが、そう云ったオリオン腕内近傍での公転軌道は確認されていません。
シリウスを巡る公転軌道も古代エジプト天文学との関連で言われることがありますが、日本の国立天文台ではシリウスと地球の相対移動からみて、太陽系がシリウスの周囲を公転していると云うことはありえないとしています。プレアデスに対する公転は言下に否定されました。

ちなみに太陽系は天の川銀河を2億5千万年かけて一周します。
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                 画像出典 : FIRST LIGHT 宇宙
        太陽系の位置は本当はこの作図よりもう少し外側なんだけどなぁ。。。。。
              それと横から見た図は言うまでもないと思いますが、
      チョー極端に誇大表現してて、実寸なら直線運動で描かれるところです。


つまりカンブリア大爆発から2周。恐竜が登場してから半周ちょっとって感じです。
さらに、フォトンベルト神話の26, 000年という公転周期にご注目ください。
これは、マヤ暦のところでも触れた地球の歳差運動:25, 920年と、天文学的スケールでは同一です。フォトンベルトのことが話題になり始めた当初からこれは歳差運動をすり替えたものとの指摘があります。

そしてもうひとつ。マヤ暦のところでの指摘に関連してすでにお気づきの方もあるかと思いますが、フォトンベルトの通過期間が1000年間であり、Ascension 出来た人は至福の状態に至るというものです。これはまさしくキリスト教で云われるところの「 至福1000年王国 」です。

そして何より不思議なのが、フォトン(光子)が、単独粒子の集合体として雲のように宇宙空間に存在できるのか? と云うことです。

現実に現在の地球サイエンスの技術でフォトン(光子)の撮影実績はありません。
極微の世界では、フォトンの実在はそれらしき状況証拠が認められているだけです。
光が粒子であると同時に波動であるとする理論もまだ実験で確認されたものではなくあくまで「 スペキュレーション(説)」の段階なのです。

厳重な極微の観察設備をもってしても捕えることの出来ない「 フォトン(光子)」が何ゆえ修理前のピンボケハッブルで撮影できたのでしょうか?
これらのことを軽く検証しただけでフォトンベルトの実在に多くの疑問が湧き上がってきます。

では、2012年の フォトンベルト ~ アセンション ~ ハルマゲドン とは一体何なのでしょう?
2012年を太陽の異常活動として診ると、その重要性が理解できるようになります。



                       太陽の異常活動


今年(2007年)1月22日、太陽に前代未聞の異常活動が観測されました。
http://solar.nro.nao.ac.jp/norh/html/10min/2007/01/21/movie.html
http://solar.nro.nao.ac.jp/norh/html/10min/2007/01/22/movie.html

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                       (野辺山電波天文台)

まるで太陽が後ろ側からどつかれたような。。。。
或いは内部で強烈な衝撃があったような。。。
太陽表面がまるで津波状態です。
水を張ったたらいを下からどつくとこのような波が発生します。
そのせいかどうか東京は桜の頃のような陽気が続きました。
天気がよくてもかなり冷え込む日もありますが、最高気温19℃を記録した日もあります。 気象庁の最高気温は13~4℃となっていますが、19℃は実際に自分で測った気温です。


                 △  △  △  △  △  △  △



と、以上、2007年に書いた文章ですが、ここから先は「 太陽黒点活動と地球文明の興亡 」になりますので、省略します。


このように「 マヤン・カレンダー 」なるものは、

 マヤの文明を破壊し尽くしたスペインの司祭ディエゴ・デ・ランダ
   ↓
 ランダ司祭の資料を基にマヤ文明を解明した
 ハルマケドン文明史観のエリック・トンプソン
   ↓
 トンプソン資料とフンバツ・メンの話しと自身のチャネリング情報を基に
 「 マヤン・カレンダー 」を創ったホセ・アグエイアス

と云う流れの中で捏造された 「 ホセ・カレンダー 」 なのです。
そして日本でこの 「 ホセ・カレンダー 」 を広めたのが、元電通社員と云うのも気になるところです。

そして何より重要なのは、2008年に初来日した、マヤ神官の長老が「 ホセ・カレンダー 」を否定し、「 マヤ暦 」は別にあるし、そこには終末はない。 と発言している点です。


そして、「 フォトン・ベルト 」については、閾ペディアことのは の「 フォトンベルト物語 」に、1981年、オーストラリアのUFO研究会誌に掲載されたシャーリー・ケンプと云う一人の女子大学生の記事『 フォトンベルト物語(The Photon Belt Story) 』から始まり、10年後の1991年、オーストラリアの有名な神秘系雑紙「ネクサス」(オーストラリアにおける『ムー』のような雑誌)に再録さて広まっていった。 と、紹介されていますが、一般的にはやはり1996年にインターネット上を駆け巡った「 ハッブル宇宙望遠鏡が撮影したフォトンベルトなる写真 」が発端です。 そしてその写真を発表したのがオーストラリアの天文学者とされていますが、本人は確かそのことを知らなかったように記憶しています(なにせ随分前のことなので間違ってたらごめんなさい。間違ってるとはつまり、知らなかったのではなく、その天文学者なるものが消息不明だったかもしれない。と云うことです。)

つまり、「 フォトン・ベルト 」の発端は、オーストラリア人の「 白馬の騎士を待ち焦がれる夢見る夢子ちゃん 」だったわけで、これにオーストラリアの「 オタクくん 」たちが群がって、ローカルな「 与太話し 」が、1996年の「 ハッブル宇宙望遠鏡写真 」と云う911の4機目のペンタゴン突入30分後の映像(ネットで公開されている「 一番最初の映像 」の更にずっと前の映像がCNNの秘密アーカイブには存在します。)と同様、今ではどこにも存在しない写真によっていきなり世界的話題へと発展したのです。

 ※ ちなみに「 白馬の騎士 」とは、一般的にはヨーロッパのカッチョイイ
   武士道精神ならぬ騎士道精神をまとい、白馬にまたがりマントを翻して
   お姫様を救出する「 ナイト 」ということになっていますが、
   その「 白馬の騎士 」とは、実はトルコ人( = 突厥・匈奴・フン族・モンゴル人 )に
   他なりません。
   1096年に始まる十字軍 = 芋を洗うようなフランス人主体
   ( 今のフランス文化は、マリー・アントワネットの時代に
   ハプスブルグ家 [ オーストリア ]からもたらされて成立したものです。)
   の十字軍がパレスティナの地で遭遇したものは、馬上で颯爽とマントを翻す
   トルコ人( = モンゴリアン )の姿だったのです。
   「 カッチョイィ〜〜〜〜〜!!!!! 」 と彼らは 「 猿真似 」 して、
   「 伝説の 」ヨーロッパの騎士になったとさ。

   もちろん、イエスも有色人種です。

しかし、この豪州の女子大生の文章はよく読むと、非常に良く出来ている。
出来過ぎ。
と、云っていいほどのレベルである。
女子大生にしてはあまりに広範囲、且つディープな内容をサラリと書き上げている。
そして、この 「 女子大生 」もまた追跡不能である。
全ては、密やかに「 仕込まれ 」、時限爆弾のようにプログラムされ、時を待って野火のように広がった。 この物語に関係する人物たちはそのすべてが追跡不能 または、関知していない。

 1981年、女子大生の「 フォトンベルト物語 」、豪州UFO研究会誌に掲載。
      ↓
 1991年、豪州のNexus誌(豪州版の雑誌「 ムー 」)に転載。
      ↓
 1996年、豪州の天文学者がハッブル宇宙望遠鏡が撮影したと云うフォトンベルトの写真を公開。



さて、別のところには、、

  ポール・オットー・ヘッセもプレアデスを研究し、
  プレアデスの星の動きとちょうど直角(90度)のところに、
  およそ2000光年つまり759兆864億マイルのtorroid型の
  フォトン/ベルトがあることを発見した。

と、かかれていますが、地上の厳密な実験機器でも観測されたことのない「 Photon 」なる仮想粒子( はっきり云うと、ベロ出しアインシュタインの創造物 )が、どうして1960年代のお粗末な人工衛星で観測できるというのでしょう?

そしてこんな「 作図 」がネット内には流布されていますが、
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これは、1996年よりだいぶ後になって作図されたものです。
1996年にホンの1〜2ヶ月間だけインターネット上に掲載されていた「 オリジナルなフォトンベルトのハッブル写真 」はもうどこにもありません。 あの時、バカにしないで保存しとけばよかったと、つくづく後悔しています。( 後日再現しますので、お楽しみに!)

そして、「 Cyber Stone 」です。
インターネットの歴史については項を更めて書きますが、1993年にイリノイ大学の学生:マイク・アンドリーセンが「 Mosic モザイク 」と云う世界初のウェッブ・ブラウザーを発表。 すぐさまダウンロードして使い始めたが、直後(1994年)に、シリコングラフィックスの会長:ジム・クラークの出資により「 NetScape 」が発表され乗り換えた。

1995年、精神世界の人間は300m先からでも臭うほど大嫌いだったが、親友がある女性を連れてきて「 銀河系地球祭 」なる喜納昌吉メインのイベントの企画書を作って欲しいと頼まれて、作成していたところ、「 精神世界 」にはまってしまい、そんな中で出会ったのが「 Cyber Stone 」。

このサイトは、「 精神世界の百科辞書 」みたいなもんで、古事記・日本書紀から大成教・ホツマツタエ・九鬼文書・竹内文献・クムラン文書から、天照・須佐之男・神功皇后・武内宿禰・八紘一宇・八咫烏や、伊勢神宮・出雲大社・伊雑宮・ソロモン神殿、リラ星人・アルクトゥールス星人・オリオン星人・プレアデス星人・銀河連盟・UFO・グレー、ムー大陸・レムリア大陸・アトランティス大陸、マヤ文明・インカ文明・シュメール文明、アメンホテップ2世・ラムセス2世・アクナートン・ネフェルティティ・ダビデ・ソロモン、ブッダ・イエス・マリア・アーサー王・ノルウェー神話・ケルト神話、イルミナティ・フリーメーソン・イエズス会、神智学(ブラヴァツキー)・人智学(シュタイナー)、易学・陰陽五行、、、、、などなど、何でもありのとてつもない、運営者不明のサイトだった。
当時の精神世界のオピニオン・リーダーの中には、正にアンチョコ的にお世話になった方も多いのではないかと思われます。

そこに、1996年「 フォトンベルトのハッブル写真 」からまもなく、 渡邊延啓氏の「 フォトンベルトの謎 」(2002年4月発刊) とそのまんまの内容の記事がUPされたのでした。

「 Cyber Stone 」は、2003年頃だった思うが、数年ぶりにアクセスしてみたらもう存在してなかった。 90年代後半にインターネットと精神世界の両方に足をかけた方にはお馴染みのサイトだと思います。


こうしていつの頃からか、僕自身もそうだったが、本来別物だった「 マヤン・カレンダー 」と「 フォトン・ベルト 」が2012年12月の一日違いというところから一緒に語られていくようになった。 その結果できたのが映画「 2012年 」。
ハリウッド映画はフリーメーソンの牙城であり、プロパガンダ洗脳機関でもある。

偶然で一日違いだったのだろうか?
ルーズベルトの発言「 歴史的大事件は偶然起こることは決してない。 前々からそう仕組まれていた。 」にあるように、2012年12月は何者かによって仕掛けられたのだ。

その主体者を「 NASA 」である。 と、僕は診る。
もちろんNASAを操る強大な組織はあるが、2012年のシナリオを作り、ホセ・アグエイアスや1996年のハッブル写真のUP者に「 インセプション 」したのが「 NASA 」の裏部隊であると思われる。 NASAは、アメリカ軍の第5の軍にして最強の軍事組織であると同時に、人類最高の科学技術を開発している機関でもある。 HAARPやケムトレイルももちろんその中のホンの小さな一つであり、片やロズウェル事件やアポロ11号月面映像の捏造や昨今のUFO大量飛来ホログラム劇を上映しているのもNASAが主体であったり、関わっていたりしてる。


つまり、2012年末に「 ハルマゲドン 」を「 起こす 」べく、1995年辺りから宣伝広告を行なってきたのである。
しかし、ここに来てどうやら雲行きが怪しくなってきた。
世界は第3次世界大戦や、地殻変動の大惨事からどうやら免れつつあるように見受けられる。 「 連中 」のプログラムが上手く作動してないように見えてしまう。
そこで、今回のような「 マヤ最古のカレンダーの発見 」がなされるわけである。
「 発見 」は「 予算 」によってコントロールされるのだ。

ウィリアム・ギブスンは、1980年のサイバーパンクSF小説「 ニューロマンサー 」の中で、「 SenceNet 」、つまり「 意味ネット 」を登場させ、その世界観に憧れたアメリカのコンピューター・サイエンティストたちが必死で作り上げたのが現在の「 InterNet 」そのものである。
つまり、すべての「 Sence 」は1970年代頃のスーパーコンピューター:一握りの天才たちの頭脳の中でプログラムされ、それが実行に移されたのだ。 1972年にはローマクラブの「 成長の限界 」が発表されている。



                12月22日 ドルが紙切れとなる!

                      2012年12月19日追記

そしてここにもう一つの情報が。

1913年12月23日、アメリカ政府はFRB ( アメリカ連邦準備制度 : アメリカ中央銀行 ) と、ドルの発行について99年の契約を締結した。
99年目とは、2012年12月22日。
まさに、フォトンベルトとマヤンカレンダーで予言された日だ。
99年契約と云うことは、FRB はこの日をもって米ドルの発行権を失うことになる。
フォトンベルトとマヤンカレンダーのお伽話は、実はこの 「 ドル消滅 」 の日を 「 アセンション 」 と、ジョーク半分で表明したものである。

22日に公表され明日から米ドルは使用できません。
と、とんでもないクリスマスプレゼントだ。

では、アメリカの貨幣はどうなるのか?
3つの事が考えられる。

  ・ アメリカ財務省がブルーノート( 青いインク )の米ドルを発行する。

  ・ NAFTA ( 北米自由貿易協定 ) 発行の 「 アメロ 」 に切り替わる。

  ・ IMF が、「 世界通貨 」 を発行し、アメリカは直接世界通貨が利用できる国となる。


これらの情報は、5月の後半にもたらされ、すぐさまブログで発表しようとした矢先に、追加情報がやってきた。

  どうやら、「 99年契約 」は、195~60年代、「 永久 」 に契約変更なったそうだ。

この追加情報をもって発表はやめることにした。
ところ、8月頃、友人が モルモン飛鳥 が、同じ事を云ってると伝えてきたので、あの モルモン飛鳥モルモンの真相 ) が云うなら 「 ガセ 」 に違いない。 と確信したのである。

195~60年代というと、1963年11月22日に、ケネディ大統領が暗殺される。
ケネディはFRBのドル発行権をキャンセル、もしくは財務省がFRBと並行して米ドルを発行しようとして暗殺されたと言われている。
ケネディの次に大統領になったのが、「 連中 」 から送り込まれていた副大統領のジョンソンである。

こうして 「 99年契約 」 は、「 期限なし 」 に変更された。 とするのが妥当ではないだろうか?






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by nueq | 2012-05-13 14:06 | 文明 | Trackback | Comments(0)

覇権文明の終焉と 新しい地球文明を デザインする


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