最古のマヤ暦発見! マヤン・カレンダーはやっぱり嘘だった!

      
     
 

               マヤ暦はまだ5000年先まであった。

          フォトンベルトとマヤン・カレンダーのマヤかしを剥ぐ

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               マヤンカレンダーもフォトンベルトもNASAが仕掛けた
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                   マヤンカレンダーとマヤ暦と歳差運動
                         マヤ文明のルーツ

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米ボストン大学などの研究チームは、ガテマラにある9世紀初期のマヤ文明遺跡の壁画に、月や惑星の周期を計算したマヤ最古のカレンダーがあるのを発見し、11日付の「 American Science 」に発表された。( 産経 iZa!
「 2012年人類滅亡説 」がまことしやかに流布しているが、精査したところ、終末を示すような計算結果は見当たらなかったという。 マヤ最古のカレンダーを精査した研究チームは「 逆に、世界には7000年は先があると考えていたようだ 」としている。

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        グァテマラ北部にあるマヤの主要都市 San Bartolo から8km地点の
              Xultún(シュルトゥン?)遺跡で発見された壁画(上)
                         その再現図(下)


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          北の壁から見つかったマヤ最古の「 Long Count 」カレンダーで
           7000年先(現在より5000年先)までの計算がされている。


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     シュルトゥン遺跡の入口と壁画を彫り出すボストン大学のウィリアム・サトゥルノ博士

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               San Bartolo & Xultún 遺跡の場所(オレンジ点)



この発見によって「 マヤン・カレンダー = ホセ・アグエイアス・カレンダー 」の2012年12月でマヤ暦が終わると云う戯言(たわごと)は完全に息の根を止められたことになる。

いずれ当ブログに掲載しようと思っていたのですが、2007年11月に、ある精神世界関連の科学雑誌向けに「 2012年のウソと太陽黒点活動 」と云う記事を書きました。 後半部分は「 太陽黒点活動と地球文明の興亡 」と云うタイトルで発表されたものの、精神世界の2大稼ぎ頭である「 フォトンベルト と マヤン・カレンダー 」を完全否定する前半部分はカットされてしまいました。
今回のニュースを契機にその前半部分を5年ぶりにみなさんにご紹介します。




                 2012 年のウソと真実

               フォトンベルトとマヤ暦と地球温暖化


2012年12月22日。5年後のこの日は、マヤ暦最後の日とされ、この時期、地球はフォトンベルトに完全に包まれてアセンションに至ると云われています。
マヤ暦とフォトンベルト。
この二つの話題が偶然一致した2012年には他にも大きな節目を迎えます。

 ・ 2013年に伊勢神宮の式年遷宮(2012年の暮には新神殿は完成)。
 ・ マヤ暦最後の日:12月22日の翌日が平成天皇の誕生日。
 ・ 伯家神道:天皇即位に際しての「 祝神事 」100年不履行で大難。
 ・ アメリカ大統領選挙、ロシア大統領選挙。

こうした偶然の一致が重なる2012年の暮ですが、地球規模で何かが起こる可能性を示唆しているのが冒頭のマヤン・カレンダーとフォトンベルトです。
マヤン・カレンダーは本当なのか?
フォトンベルトは実在するのか?


             マヤ暦2012年12月22日の意味するもの

マヤ暦と云うと、ホセ&ロイディーン・アグエイアス夫妻の「 マヤンカレンダー(13の月:コズミックカレンダー)」で、7月25日を「 時間のない日 」とし、2012年12月22日でカレンダーは終わり、人類は次元上昇すると云われています。しかしこのアグエイアス夫妻のカレンダーには他ならぬマヤ族末裔の長老たちから異論が発せられています。
アグエイアス夫妻の「 マヤンカレンダー(13の月) 」とは、1980年代にマヤ族の末裔の一人であるフンバツ・メンから得たマヤ先住民の情報や、1950年代のマヤ文明研究の権威:エリック・トンプソンの文献、そして彼自身のチャネリング情報などを併せて創り出した独自の暦です。つまり「 マヤ暦 」そのものではない
ということにまず着目する必要があります。

  ※ 先に話を進めるにあたって、
    アグエイアス夫妻の「 マヤンカレンダー = アグエイアス・カレンダー 」と
    本来の「 マヤ暦 」は別物であるという観点から
    名称も「 マヤンカレンダー / マヤ暦 」 と区分して以降記します。

マヤ文明は、16世紀、スペインの侵略によって滅びます。
コロンブスに始まる大航海時代です。(1492年、新大陸発見)
1562年7月、司祭ディエゴ・デ・ランダは、「 異教徒 」マヤの文明を破壊し尽くします。1562年というと、日本では織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を破った2年後、松平元康(後の徳川家康)と清洲同盟(織徳同盟)を結んだ年です。
アメリカ大陸にはスペイン国王直下のカトリック修道会:フランシスコ会が、アジアにはバチカン別働隊の修道会:イエズス会のフランシスコ・ザビエルが進出し、やがてはイエズス会:バレンチノ神父も絡んだ織田信長爆殺へと繋がって行きます。

また、マヤ文明を初めてひもといたエリック・トンプソン氏は、当時研究論文が一切なかったためランダ司祭の残した資料を基にマヤの末裔たちから聞いた話を加えてマヤ文字と文明の解読を行いましたが、弾圧されたマヤの子孫たちが本当のことを話すことはありませんでした。 しかもトンプソン氏自身がキリスト教のハルマケドン文明史観からマヤ暦を解釈したため、「 マヤンカレンダー 」はすでにこの時点からバイアスがかかっていたようです。

アグエイアス博士の「 マヤンカレンダー 」では7月26日を一年の起点と定めていますが、これはトンプソン氏の解釈であり、7月26日とは本当はマヤでは農業をするにあたっての重要な日であり、マヤの元旦ではありません。 本当のマヤの暦の基点は春分の日の後の最初の満月の日とされています。

また、マヤの考え方には、キリスト教的な終末論(ハルマゲドン)はありません。

2012年辺りででマヤ暦が終了している理由は、そこから「 時間がなくなる 」というより、オルメカ文明に続くマヤ文明が存続した紀元前後~AD1562年が属する周期を最後に記したとする方が自然ではないでしょうか?

では、2012年をマヤ暦の中で検証してみましょう。
マヤ暦の一周期25, 630年は、地球の歳差運動:25, 920年と近似です。

マヤ文明が歳差運動を正確に読み取っていたかどうかはまだよく判りません。
ミランコビッチによれば、歳差運動は1 万9000 年、2 万2000 年、2 万4000 年の3つの周期の組合せから構成され、また、歳差を作る自転軸の傾斜角も4 万1000 年の周期で22.1 度から24.5 度に振れていて、歳差周期はこれらの組合せで増減を繰り返しています。
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さて、マヤ暦の長周期は1, 872, 000日(÷365. 25=5125. 26年)で、グレゴリオ暦のBC3114年8月11日に始まり2012年12月21日で終わるとされています。(21日説と22日説があるようです。)
この5125. 26年でマヤの一周期25, 630年で割ると5. 14巡。
歳差運動の25, 920年では、5. 06巡となります。
この計算はマヤで使われた暦の長周期:1, 872, 000日が、一定の周期であるとして歳差運動を割ったものですが、村松誠一郎と云う方は「 黙示録「天空」カレンダー 」(中央アート出版)で長周期が一定でないとの説を掲げ、次のような区分を記しています。
  第1周期)BC20239~BC16231(4008年間)
  第2周期)BC16231~BC12221(4010年間)
  第3周期)BC12221~BC.8140(4081年間)
  第4周期)BC.8140~BC.3114(5026年間)
  第5周期)BC.3114~AD.2012(5126年間)
と、云う区分となっていますが、なぜそれぞれの周期の長さがばらばらなのでしょうか?
村松氏の著書の中でその出展が明らかにされていないのと、著者に連絡不能なため、根拠は不明ですが、占星術の12宮の区分の仕方にその秘密があるのかもしれません。つまり、実際の星座の位置やサイズと、黄道を12等分した長さはきれいには比例しないと云うことです。占星術は星のエネルギーが投影(刻印)されたパターン解析とも云えますので、実際の星のエネルギーを読み取ろうとするなら、黄道を12等分したものではなく、星座の実際の位置関係を重視した方がより正確になります。この5つの長周期がばらばらなのはのそのせいかもしれませんが、その詳細な分析は本題からずれるのでここでは省略します。

占星術上の星座の巡りは、春分の牡羊座から始まって魚座で終わります。
歳差運動に於ける星座とは、地球の地軸の首振り運動に伴って春分の際の太陽の位置を云うもので、通常の占星術の星座の巡りとは反対に巡ります。
ですから、魚座の次が現在の水瓶座となっています。
2012年で暦が終わる、つまり歳差運動に伴う大きな周期が終わるとするなら、それは水瓶座で始まり、水瓶座で終わるのでしょうか?
もちろんこれはマヤの暦が歳差運動を考慮したものであり、マヤには終末の考えはないと云う視点に立った上でのことですが、マヤの暦がどこからもたらされたのかと云うことも気になります。
壁画に宇宙船の内部のような絵があることから、宇宙人(ケツアルコトアル)から直接教わったともされていますが、マヤ文明の前には、オルメカ文明(BC1250~紀元前後)があります。さらに、アマゾンの奥地:ボリビア ~ ペルー ~ ブラジル域には、BC3000年頃と思われる古代文明の跡も発見されています。

米国のオクラホマ中央大学外国語学部の許輝(マイク・クシー) 教授と、中国歴史研究所の陳漢平( チェン・ハンピン) の研究が『 USニュース&ワールドレポート 』で紹介された記事には、「 オルメカ文明の陶磁器、翡翠(ひすい)加工品、彫像の実際の標本写真に、約百五十の象形文字を発見した。< 中略 > 彼はこれらの模様のデッサンを中国本土の古代文字専門家たちのもとに持ち込んで検証させた。彼らのほとんどが、それらが中国の甲骨文字や青銅器の碑銘中で使用される文字に酷似していることに関して、意見の一致をみた。< 中略 > 許は『 中米で最初の複雑な文化は、商(殷)王朝末期に難民として海を渡って逃れてきた、一団の中国人の助けを借りた上で出現したかもしれない。オルメカ文明は紀元前千二百年頃に発生したが、それは周の武王が商最後の支配者である紂王を討ち、商王朝に終焉が訪れた時期と一致する 』と信じている。」と掲載されているようです。

そして、この商(殷)とは、「 商い 」をする支部(支那)地域のことで、その本拠地は、国東半島(宇佐神宮)にあったとするのが、松重楊江・中原和人氏( 「 教科書には絶対書かれない古代史の真相 」 「 検証!捏造の日本史 」 共に たま出版 )であり、甲骨文字を記した亀の甲羅は必ずマレー半島域のものが使われたと云うこともマヤ文明成立に何らかの関連を持っているのかもしれません。

    ※ 2012年12月12日 追記
      殷の甲骨文字は、シュメールの楔形文字が
      シュメールの貿易相手だったインダスで改良されてインダス文字となり、
      シュメール部族の移動に伴って日本・支那の地に持ち込まれ、
      支那で漢字へと組み立てられた。
      と、松重楊江・中原和人氏が引き継いだ 鹿島史学の
      鹿島昇氏が明らかにしています。
      つまり、オルメカの甲骨文字状のものは、
      シュメール人とドラビダ族の混血人種がマレー辺りから
      南太平洋海流に乗ってアメリカ大陸にもたらしたものと考えられます。
      であるなら、マヤ暦の元は、シュメール暦である。
      と云うことになり、現地では失われた古きシュメール暦が
      保存されていたのかもしれません。

さらに、古代エジプト文明とマヤ文明の関連や、占星術誕生の地といわれているバビロニアのことも考慮すると、マヤ暦の起源を求めるにはこれらの先行文明との関連や影響をも考慮する必要があるでしょう。

さて、村松氏の5つの周期を合計すると、22, 251年となり、マヤの一周期にも、現代科学の歳差運動周期にも足りません。 歳差運動の25, 920年を12宮で割ると、各宮(星座)の期間は、2, 160年となります。

   22, 251年 ÷ 2, 160年 = 10. 30宮

つまり、村松氏の周期では第一周期の起点は、まがいものをはぎ落とす、完全性の山羊座が起点となります。つまり、終点も山羊座です。

  マヤ 25, 630年 - 22, 251年 = 3379年(AD5391年)
  歳差 25, 920年 - 22, 251年 = 3669年(AD5681年)

となって、次の超大周期に入るまで、まだ3600年以上の時間が残されていることになります。これだけの時間があれば、強制アセンションに依らなくても、この低次元な人類の意識レベルも、水瓶座と云う神秘の訓練期間を経て完全性に至ることは可能に思えてきます。

  「 山羊座 」に始まり「 山羊座 」に終わる。
  完全に始まり、完全で終わる。
  αでありΩである阿吽の呼吸。

をマヤの暦は伝えているように思えてきます。

2012年は、完全性へと文明がシフトしていくことを暗示している起点として位置づけることが出来るようです。
ホセ&ロイディーン・アグエイアス夫妻による「 マヤンカレンダー 」は、「 マヤ暦」とは別の独自のものであり、キリスト教原理主義史観のバイアスがかかっているものではあるものの、ローマ・ユリウス ~ グレゴリオ暦によってゆがめられた時間の尺度(暦)を見直す契機ともなり、人類が新しい意識へとシフトするための手引きとして大きな貢献をしたと云えるでしょう。



                            《 後編
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Commented by ゴンボ at 2012-11-18 10:43 x
しかしこの時期に発見て・・・

しかもボストン大学・・・

自宅のマヤカレンダーの12月21日には何やら地球の周りに虹がかかった様な不思議なマークが書いてあります。

世界最古なんて物ではありませんがww
Commented by nueq at 2012-11-19 17:21
ゴンボさん、コメントありがとうございます。
日本史に関する東大・京大、
核に関する東大、
経済・金融に関するハーバードなら、
「 眉に唾して 」と云う認識は出来てるのですが、
ボストン大学のマヤ文明に関するスタンスとは、どんなものなのでしょうか?

この時期っていうか、発見自体は数年前だったみたいで、検証後の発表がこの時期になったようですね。
Commented at 2012-11-30 03:58 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by nueq at 2012-11-30 22:56
マヤさん、コメントありがとうございます。
「 肝心な日本の足元の秘められた埋没歴史 」ってなんでしょうか?
もったいぶらずに教えて頂けると嬉しいです。
日本の秘められた歴史にはそれなりにかなり詳しいつもりですが、それでもきっと知らないことはいっぱいあるかと思いますので。

もちろん今年、「 新たな目覚め 」があることを僕も願っていますし、時流は確実にその方向性に動いています。 このエッセイだけでなく他のエッセイも読んでいただければその辺りの僕の思考ベクトルはご理解いただけるものと思います。
このエッセイで書いたのは、ホセという人物のカレンダーのマヤかしと、フォトンベルトのマヤかし、そしてその裏側でこうした連中を操ってるNASAを糾弾するためです。 NASAは先ごろ、【 ようやく 】太陽のフレア爆発が事前に予測できることを発表しました。 そんなことだろうと、10年前から思ってました。 要するにそういうことなのです。
by nueq | 2012-05-13 14:44 | 文明 | Trackback | Comments(4)

覇権文明の終焉と 新しい地球文明を デザインする


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