2012年 02月 26日
あなたの脳は誰のもの?(1)モスクワシグナル 前編
モスクワ・シグナルとマインドコントロール
渡辺謙・デカプリオ共演の映画「 インセプション 」は、ターゲットとなった世界企業の御曹司の夢の中に3段階に降りて行き、本人の潜在意識に「 自発的 」と思わせる意識やアイディアの種を植えこむ(インセプションする)物語。
ハリウッド映画、特に戦争モノやスパイもの、サスペンスものは実は、実話をおとぎ話風に薄めてマイルドにこれ見よがしに広報するツールであり、全てはフリーメーソンの完全なコントロール下にある。
そういった意味で時折ハリウッドからは非常に重要なメッセージが映画としてリークされる。映画「 インセプション 」はまさに一つのエポックとも云える重要な映画なのであり、アメリカがこの技術の遥か先まですでに到達している。と云うことを暗に世界中の人々に告知しているのです。最先端の軍事技術は極秘ですから、こうして公開される技術は今ではすでに大昔のほんの一部の技術であるにしか過ぎない。と云う視点で見ることが大切です。そう、「 事実は小説より奇なり 」。それが「 ハリウッド映画 」の真髄なのです。
「 あなたの脳は誰のもの? 」と題したこのシリーズ、最先端の洗脳技術とチャネリングの危険性、記憶の真相などを今後公開していきます。
まずは、以前某メールングリストで配信された「 モスクワ・シグナルとマインドコントロール 」を著者の許可を得てここに転載させて頂きます。
今後のシリーズに乞うご期待!
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モスクワ・シグナルとマインドコントロール
前 編
■ 駐モスクワ米大使館の異常
第二次大戦が終わった1945年(昭和20年)に、モスクワ駐在の米大使A・ハリマンは、ソ連政府から見事な鷲の彫像をプレゼントされた。 鷲は米国の象徴。 喜んだハリマンは、このプレゼントを大使館の壁に飾った。これが盗聴装置だったと気づいたのは1952年だった。(もっと早く気づいたが、意図的に放置していたという説もある。)
なぜ長い間、盗聴装置だと気づかなかったのか。
この装置は電波を発信し続けるものではなく、しかも電源もバッテリーも不要の優れモノだったのだ。
この盗聴装置は、外部からマイクロ波を照射して作動させていたのだ。 鷲のクチバシの部分が精巧な振動板となっていて、外部からマイクロ波を受けると、大使館内部の音声、会話を捉えて振動し、その信号を発信するというものだ。 米大使館は、この事実に気づいた時点で、当然のことだがソ連当局に厳しい抗議を行った。しかしこれが公表されたのは、さらに8年ほど経ってからのことだった。
1960年5月に、ソ連領空深くに侵入した米国のスパイ機U2が撃墜されるという事件が起きた。 撃墜されたスパイ機から脱出したパイロットは逮捕され、スパイ行為を自白したのだ。 ソ連は米国のスパイ行為を激しく非難、糾弾したが、その最中に、米国連大使のH・C・ロッジJr.が、8年前に発覚した駐モスクワ大使館盗聴事件を暴露。 米ソのスパイ合戦が世界中の話題になったものだった。
盗聴装置の彫像を処分した翌1953年、駐モスクワ米大使館に新たなマイクロ波が照射されるようになった。そうした状況下の1955年に、米大使館に勤務する二人の男が幻聴に悩まされるという“事件”が起きたのだ。
1953年に“確認された”新たなマイクロ波は、以前のものとは性質が異なっていた(異なるヘルツだった)うえに、非常に低出力のものだった。 照射され始めた当初、米大使館側は、どこかに別の盗聴装置があるのではないかと、大使館内部を懸命に捜索すると同時に、この低出力電波は、盗聴目的ではなく、電波妨害が目的ではないかとも考えたようだ。
しかし、もう一つの可能性も想定していた。
当時のソ連では、低出力の電磁波が人間の心理に何らかの“異常”をもたらすとの、心理学者たちの研究報告が、さまざまな形で世に出ていた。 ソ連側の低出力マイクロ波が幻聴の原因なのではないのか。 これは盗聴装置ではなく、新しい形の心理攻撃かもしれない……。 当然、その可能性が追及されることになった。
モスクワの米大使館は、その後もマイクロ波攻撃を受け続けた。 1962年からは新たなタイプのマイクロ波が照射されるようになった。 それは大使館の向かいの建物と、道路を隔てて隣り合うビルの2方向から、大使館のほぼ中央部に向かって発信されていた。
ソ連側のマイクロ波による米大使館攻撃が、一般に明かされたのは、1972年のことだった。
今日の「ウィキリークス」にも似た暴露記事を得意とするJ・アンダーソン記者が『ワシントンポスト』紙のコラム欄に「ロシアが洗脳を試みている」といった内容の小記事を書いたのだ。 もっともこの記事は、マイクロ波照射に異常を感じた米CIAが、独自に調査し、CIA自身が新たな人体実験を極秘に行っているというものだった。
その後、米大使館の一部にアルミ製の遮蔽板が取りつけられた。
直後にソ連側はマイクロ波照射を認めたが、マイクロ波を発信した理由として、米大使館が恒常的に行っているクレムリンに対する盗聴を妨害するためだったと弁明した。
その後、ソ連当局と米大使館との間に、何らかの“和解”が成立したようだ。 その和解とは恐らく、米大使館側がクレムリン盗聴装置を撤去することを条件に、ソ連側のマイクロ波照射が中止されたと思われる。
1976年になると、ソ連側のマイクロ波照射により、米大使館勤務の49人が健康に著しい被害を受け、そのうち2人はガンを発病したと発表された。
一般には、この1976年に公表された「駐モスクワ米大使館に対するソ連側のマイクロ波照射事件」を「モスクワ・シグナル事件」と呼んでいる。 しかしその本質は、1955年に起きた幻聴事件にあり、アンダーソン記者が暴いた「この幻聴事件を機に、CIAが極秘の人体実験を行った」ところにある。
● 「声」が聞こえる
「自分の精神が壊れ始めた──。最初はそう思いました。 それ以外のことは、まったく思い浮かびませんでした」
マルティ・コスキ氏は遥か遠い昔の話を、昨日のことのように語り始めた。
「それは1974年3月下旬のことでした。 3月のトロントは雪と氷の世界です。 その凍りつく白銀の世界で、私の精神もまた凍りつき、路上に落ちるツララのように粉々になっていくのではないかと感じていました」
カナダのトロントに住んでいたコスキ氏は、どこからともなく彼に語りかけてくる「声」に怯えていた。 その声は、頭の中に直接入ってくるのではない。しかし通常の声とはわずかに違っていて、耳から聞こえるようで、精神を集中させると、こめかみのあたりで響いているように感じたという。
「その声は私の日常をすべて見通しているかのように語るのです。声の主は中年の男性だと思われました。音声は英語です。 それも北米の英語ではなく、キングス・イングリッシュと思われる英語で、落ち着いて、威厳のある話しぶりでした。毎日午後1時に始まり、きっかり8時間、休むことなく語り続け、夜にはぴたりと停止する。それが3年以上も続きました。 内容は徐々に変化していき、私がまったく知らない惑星の話、そして政治の話へと変わっていきました。 1978年になるとこの状態が一気に変化します。声は24時間休むことなく続けられたのです」
1日24時間、声が聞こえてくる状況下、マルティ・コスキ氏の体調は最悪のものとなる。 ほとんど眠ることができず、心臓の鼓動は激しくなり、働くことはもちろんできず、食事もろくにとれないまま、ついに彼は倒れ、病院に搬送される。
「トロント大学横にあるマウント・サイナイ病院の精神科に入院させられました。しかし入院しても、声が止むことはありませんでした。病院で声はこう語りかけてきます。──君はスパイとなってロシア(ソ連)に潜入し、特殊任務を行う。 この病院で君はスパイのための特殊技術を学習する、と」アパートに戻って必要な衣類を取ってくると断り、コスキ氏は病院を抜け出した。 彼の精神力は、まだしっかり保たれていて、逃げ出すことが最善だと判断できたようだ。 彼はそのまま、故郷のフィンランドに向かう。 しかしフィンランドに戻った直後から、また声が聞こえるようになる。
「その声は、これまでとは違い、複数でした。 英語ではなく、フィンランド語です。 若い女性も混じっていて、会話そのものは以前より明るい調子でした。 彼らは全員がシリウスという星の出身で、なかにはシリウスから火星に渡り、現在は火星に住んでいるとも語りました」
だがコスキ氏は強靭な精神力の持ち主だったようだ。 その内容を「少しでも信用しようとは考えませんでした」という。
上記の物語は、多少の加工はしてあるが、ほぼ本人の語る通りである。
いったい彼が聞いた「声」の正体とは何だったのだろうか。
■ マインドコントロールの恐怖
マルティ・コスキ氏が体験したものは、ある種の“マインドコントロール”の実験ではなかったのだろうか。
じつのところ、彼が“実験対象だった”と証明するものは、何一つ出てきていない。 ところが米CIAが極秘に行った人体実験に関しての資料が漏れ始めたところで、コスキ氏の体験がマインドコントロール実験に違いないと確信できるようになったのだ。
その実験とは、1955年の駐モスクワ米大使館員が“幻聴”を感じた直後から始まっている。
それはマイクロ波を使ったマインドコントロールだった。
ここで「マインドコントロール」について、簡単に触れておく。
マインドコントロールは古代に行われていたオカルティックな手法も含め、人類は長い間研究してきた。だが、本格的な研究は第二次大戦中に始まったと考えていいだろう。
捕虜として捕らえた敵の兵士や情報要員から情報を聞き出すことが重要だと考えられたからだ。 このために開発されたのが「自白剤」である。 第二次大戦中、ナチス・ドイツでは、ダッハウの捕虜収容所で科学者たちが「人間の意思を消す」ための実験を続けていた。 米国ではOSS(CIAの前身)がマリファナなどを使って、「舌が軽くなる(おしゃべりになる)」研究を行っていた。米国のこの研究に従事したのは、その後、原爆製造に携わるマンハッタン・プロジェクトに移行した
メンバーも多く、この研究がいかに重要で、「秘中の秘」だったかが理解できる。
戦後になっても、この「自白剤」に関係する薬物、麻薬を使った研究は、膨大な予算の中で進められた。とくにCIAに代表されるカウンター・インテリジェンス部門では、こうした研究が盛んだった。
第二次大戦後、研究者たちは研究対象として、ときに自分自身を使ったと記録されている。 だがその後、朝鮮戦争が絶好の“実験現場”となったのだ。 北朝鮮捕虜を使っての「自白剤」の研究は、やがて本格的なマインドコントロール実験へと移行する。 しかもその実験現場として選ばれたのは、北朝鮮に近い国──日本だったのだ。
( 後編に続く )
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