2011年 12月 25日
クリスマスって何の日? ・・・バビロン暦とグレゴリオ暦と和暦
クリスマスって何の日?
バビロン暦とグレゴリオ暦と和暦
冬至と新嘗祭
七曜日の配列の不思議とマルドゥク
今日は、X’mas。
みなさん如何お過ごしでしょうか?
このX’mas、イエスの誕生日とされていますが、
ナザレのインマヌエルの実際の誕生日は春で、 多分4月9日。
4月8日は仏陀の誕生日、9日イエス、10日鉄腕アトムの誕生日と続くので、3連休にすべきだ!
( 画像出典:gooブログはじめました!)
クリスマスの元々はミトラ教の「 冬至祭 」。
太陽が再生する聖なる日です。
( ミトラ神 : 画像出典 再構築ロボ シーサー )
ミトラ教がローマ帝国の国教であった当時、12月25日をミトラ神の誕生日と定めたのが元々ですが、ミトラ神は太陽神。つまり、太陽の死と再生の冬至のことです。 この冬至が25日にずれたのは、ローマ原暦(1年304日)→ ヌマ暦 → その後何度かの改暦を変遷するうちにズレが生じた結果であると考えられます。 逆に考えると、この時期、ローマにはまともに天文観察をできる技術がなかった。ということの証左となります。 さらに、ローマ帝国の国教がミトラ教からキリスト教に変わるのが4世紀初頭からで、アルメニア、グルジアに始まって最終的にローマ:391年のキリスト教の国教化となります。 この時、元の国教:ミトラ神の誕生日をイエスの誕生日へとすり替えたのです。
ちなみにローマ建国は前753年( ローマ王国 ~ 前509年 ローマ共和国 ~ 前27年 ローマ帝国 シーザー )で、この時、初代王ロムルスに採用されたのが、1年304日のローマ原暦。3月( Martius:マルティウス )に始まり12月( December:デケンベル )に終わり、1・2月はなく、新年は3月1日。種まきのタイミングで新年を決めてたようです。 その後、2代目:ヌマ王の時、1月( Jānuārius:ヤーヌアーリウス )と2月( Februārius:フェブルアーリウス)が12月の後ろに付け加えられ、1年364日となりますが、新年が1月1日となるのは、前153年。理由がまるでわかりません! なんだかラテン人のいい加減さ、大炸裂! って感じでしょうか。
同様に、日本の新嘗祭(にいなめさい)。新嘗祭は五穀豊穣を祝い、来年の豊穣を祈願する天皇の毎年の儀式の中でも最も重要なものです。
( 新嘗祭で使われる稲を植えられる天皇陛下 今年5月24日 : 画像出典 Flower Life )
( う~~~m.。。ちゃんと神式装束で裸足でどっぷり入って頂きたいものだ。)
現在はグレゴリオ暦11月23日に行われて、戦後のGHQマッカーサー思想の下で「 勤労感謝の日 」へと名称変更されました。今年の新嘗祭は天皇が儀式を執り行えなかったため、来年は凶作になるとの噂も飛び交ってますが、偶然の必然と云うのでしょうか? 全国にまき散らされたプルトニウムやウラン、コバルト、セシウム、ストロンチウムを始めとする数十種類の放射性物質が、植物に吸収されDNA損傷が多発するため来年は凶作になるとの予測が出ています。
さて、グレゴリオ暦11月23日の新嘗祭は、明治6年の和暦( 旧暦・農暦 )からグレゴリオ暦への変更時に固定化されたものですが、それ以前の、和暦では、霜月(十一月)第2の卯の日(中卯)とされていました。
(あれ!? うどんの中卯って、冬至のことなの?)
つまり、グレゴリオ暦12月21日頃の冬至の日の前後、と云うことになります。( 今年の二の卯は、グレゴリオ暦 12月17日で癸卯でした。)
この冬至が本来(縄文)の新嘗祭であり、正月元旦だったはずです。( 縄文時代にも稲作が行われていたことは近年広く知られるようになっていますが、最近では6000年前の栽培も明らかとなり、水田稲作も3500年ほど前まで遡るようになりました。)
それにしても、ラテン人の3日ズレに対して、日本人の1ヶ月ズレなので、日本人の方が、あ~~~~~、もっといい加減!
では、なぜ、「 卯の日 」なのか?
あるサイトの説明に依ると、
十一月・・・子月 子:水の兄(陽)
日付は・・・卯日 卯:木の弟(陰)
「水」と「木」は五行では相生の関係、「水は木を生む」。
また子は「陽」、卯は「陰」。陽は男性、陰は女性の性質とされるので
子月卯日は月と日で男女和合での新しい誕生という意味もあります。
また四季の五行配当を考えると
水:冬 , 木:春
水は木を生む ⇒ 冬は春を生む ・・・ 季節の循環がはじまる
と「子月卯日」は様々な点で理想的な日なのです。
と、ありますが、これはどう見ても奈良平安時代に「 逆輸入 」された易学によって
後付されたように思えて仕方ありません。
なぜ、冬至ではなく、冬至近辺の第2卯の日にわざわざしなければならないのか?
「 何でも唐風 」って云う風潮に併せて、五行に無理矢理合わせようとする言葉遊びみたいなものが先行して本来の意味を失ってしまったのではないか? 数年前に、日本の祝日のいくつかが連休になるように変更されましたが、縄文 〜 弥生の「 太陽信仰 」を隠したかった勢力が権力を握った時代に、五行にすり替えたのかもしれませんね。
それに、なぜ霜月(十一月)が「 子 」の月になっているのか?
本来、1から12までを配当するなら、11番目の月は「 戌 」でしかるべき。
現在の易学や西洋占星術は古代の真正占星術から移植・転写される際に、転写ミスを起こしています。 これが「 当たるも八卦 」のことわざにもなるように不正確な占星術の原因です。
( 画像出典 : 第一风水 )
しかしこの転写ミスは、ミスではなく故意によるものだと思われます。 なぜなら、正確な占星術を駆使すれば、人の死も、戦さの際の必勝方法も見えてしまうから、この智慧は多くの人に知られてはいけないのです。 その為、真正占星術は、おそらくは一子口伝だけで伝えられたものと思われますが、長い歴史の中でそれも途絶えてしまい。。。
さて、十二支を五行に配当するのって、ちょっと無理があるような気もします。
和暦の冬と現行易学の冬を比べてみると
和暦 冬 ・・・ 神無月・霜月・師走(10・11・12月)
易学 冬 ・・・ 亥・子・丑(10・11・12月)
となり、易学が「 子 」を霜月とするのは果たして正しいのか?
それともどこかで書き換えが起きているのか?
和暦の、春一月(睦月)で、生命の始まり = 胎児 = 子(ねずみ)とするか、
現行易学の、太陽が再生する冬至の十一月を 胎児 = 子 とするか、
の考え方の違いですね。
ひょっとして、先に書いたヌマ暦で追加された Jānuārius:ヤーヌアーリウス と Februārius:フェブルアーリウス が December:デケンベル(10に月) の後ろ(年末)に加えられたのが、前153年に Jānuārius を新年、December を12の月と改めますが、中国易学はこの移動前の影響を受けてるのでしょうか? つまり、本来一の月であるべき「 子 」が「 11の月 」にあるのは、中国易学はバビロンからダイレクトにもたらされたのではなく、ローマからもたらされた可能性を示しているのか?
どなたか判る方いらしたら、教えてください。
※ 2012年12月19日 追記
その回答がもたらされました。 求めよ! さらば与えられん! です。
「 伯家神道が予言する 2012年 天皇家の終焉 」 の中盤に
「 原初の太陽神と固有暦 」吉村貞司 昭和59(1984)年、六興出版 からの
要点をまとめてあります。
やはり、日本に固有暦が存在してたのですね。
ちなみに「 暦:カレンダー 」って、「 カルデア人 」が使っていたから「 カレンダー 」。
カルデアと云うと、ネブカドネザル2世の「 バベルの塔 」と「 バビロン捕囚BC597 」。 つまり、新バビロニア(バビロン第11王朝:BC625~BC539)のことです。( 旧約聖書の基になるカバラは、このバビロン捕囚中に成立しています。)
( 16世紀の画家ピーテル・ブリューゲルが描いたバベルの塔 : 画像出典 堕天使のトリック )
カルデア最後の王:ナボニドスは、月神を重視したことで、マルドゥク神官団と対立。
これがカルデア滅亡の引き金になったのか、新興アケメネス朝ペルシャのキュロス2世に
滅ぼされ、カルデアの神官(占星術師)たちはパトロンを求めて諸国を放浪、 ギリシャに渡り現在の西洋占星術と暦法の基となっています。
カルデアはバビロン第11王朝で、その前に10の王朝があり、その最初がシュメールです。 つまり、離散したカルデア人がギリシャに持ち込んだから「 カルデア人のカレンダー 」になっただけで、実際にはもっと前から連綿と伝えられてきたもの。
この「 カレンダー 」は、太陽暦のグレゴリオ暦とは違う、和暦と同じ太陰太陽暦。
カルデア(第11王朝)以前の第9王朝の頃にはすでに、19太陽年が235蒴望月と
ほぼ同じ長さになる(違いは2時間)ことが発見されていたようです。 つまり、19年に7回、閏月が入ると云う、和暦(旧暦・農暦)そのものがこの時代には完成したと云うことになります。
そしてカルデア 〜 ギリシアの当時の、新年は「 春分の日 」でした。
グレゴリオ暦の話題に戻ると、長いこと、オクトーバーが10月で、セプテンバーが9月って変!
オクトは「 8 」の意味で、オクトパス( タコ )の足8本と同じ意味だし、セプテンバーは、セブンの月なので、これは、ユリウスとアウグスティヌスが、自分の名前のJulyとAugustの31日の2ヶ月を無理矢理途中にねじ込んだから、7が9月にずれて、8が10月になったんだ。と、思ってましたが、3月が新年の「 一の月 」なら合ってたわけです。
ついでに7曜日について、なぜ
太陽・月・火星・水星・木星・金星・土星
の並びになっるのか?
惑星の並び順なら
太陽・水星・金星・月・火星・木星・土星
近い順なら
月・金星・水星・火星・太陽・木星・土星
の並びにならないと行けないはずなのに、一体なぜ?
天文観測に優れていたバビロニア人にしてはどうも変?
と、長いこと思ってたのですが、ブラバツキー原著・東條真人編訳「 シークレット・ドクトリンを読む 」の中にその解答を見つけました。
( 絶 版 )
カルデア神学では、天体を天動説に基づいて、遠い順に
土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月
と、配列し( 火星と太陽、金星と水星の位置関係が現代天文学と逆転)、これをカルデアン・オーダーと呼びます。 そして、下図のように円の上に土星から順に配列し、太陽を頂点に左廻りの一筆書きで結ぶと
( 画像の出典:ミトラ教研究.天使七星学:占星術本来の姿 東條真人 )
日・月・火・水・木・金・土
の七曜配列:七芒星が誕生します。
やっとわかって一安心。 ふぅ~~~。。。
理由が分からないと気持ち悪くてお尻がむずむずしてしまう症候群なのです。
(^o^)ゞ
さて、上記に「 マルドゥク神 」と記しましたが、マルドゥークと云えば「 二ビル 」。そして木星。
西洋占星術の12宮は、元々は木星の公転周期12年を基にしたもので、ここから十二支・十二辰も誕生しています。
木星 = ジュピター(英語:ローマ語)← ゼウス(ギリシャ語)← マルドゥク(カルデア語)と変遷しますが、マルドゥクとはバビロニアの最高神。
その名を「 ベール・マルドゥク 」と云い、「 我が主 」の意味。
「 ベール 」のフェネキア読みが「 バール 」。
父親は至高神エル。母親はアシュラ。
祖母神ティアマートの身体を引き裂いて天地を創造する神ですが、そこに至る傍若無人の所業は、まるで素戔嗚神そのもの。 スサノオが御世話になった大気都比売神を切り殺すと、そこから五穀豊穣が芽生えたと云うくだりもそのままそっくりです。また、 ティアマトはドラゴンの姿で描かれ、 マルドゥク = バール = 牛の神がその龍体を引き裂くのは、アーサー王を始め世界各地に残る龍(蛇:ナーガ)トーテム族を征服する牛トーテム族の物語で、スサノオの八岐大蛇退治も同じ流れの神話です。
バール神は 「 牛 」 とされていますが、本来は嵐と海の神様です。 まさにスサノオそのもの。
シュメールに元々あったバール神に 「 牛 」 の性格が付得されるのは、BC1894年のアムル人(アモリ人)による占領 = バビロン第一王朝以降であると思われる。
( ティアマトを殺すマルドゥク : 画像の出典:グレゴリウス講座 )
( 素戔嗚の八岐大蛇退治 : 画像出典 日々是研究 ~アトリエ・虹 )
そういえば、スサノオとは、シュメール南部(カルデア原郷)にあった都「 スサ 」の王とも、また、牛頭天皇とは、ヤハウェの先輩格:バール神とも云われています。
ヤハウェ(エロヒムの一人:エホバ:アッラー:ゴッド)とは、バビロンから失敬した最高神:エルの複数形(エロヒム)の内の一人なのです。(ヤハウェの初出はモーゼの出エジプトの物語で、BC1260年頃・バビロン第3王朝の時期:アブラハムのBC1850年頃にシュメールを征服してバビロン王朝がスタートしています。)
ところが、ユダヤ教の神・砂漠と嫉妬の神:ヤハウェは、牛と雨と豊穣の神:バールを封殺し、その地位を簒奪します。 要するに嫉妬の神・契約(=脅しと詐欺)の神:ヤハウェとは、バール神 ( 或いはバール = マルドゥクの息子:ナーブ ) の原像にお白いを塗りたくった厚化粧の神とも云えるでしょう。 この似非キリスト教に大正・昭和・平成天皇帰依してきましたが、宇宙万物を祀る神道の総司祭である天皇が厚化粧の嫉妬神の教徒であって良いはずはありません! その元となるユダヤ教は、 紀元前597年、新バビロニアのネブカドネザル2世によって南ユダ王国が滅ぼされ、バビロン捕囚の際にバビロンの地で誕生した旧約聖書の原型(カバラ)の中でヤハウェと云う神が創作され、唯一絶対神として位置づけられた比較的新しい新興宗教なのです。つまりイスラエル王国が北イスラエルと南ユダに分裂する前のダビデ・ソロモン時代に神殿で祀っていたのは、ヤハウェではなく、バール神だったのです。そのことを現代のアシュケナジー・ユダヤとキリスト教徒たちは知らされていません。すべては、旧約聖書の執筆とイエス・キリストの教えをねじ曲げて初代ローマ法王となった嘘つきペテロのなせる技といっていいでしょう。 ユダヤ教の人もキリスト教の人もイスラム教の人も、ミトラ教の移植であるバラモン〜ヒンドゥ教の人もそろそろ民族の攻防と宗教の発生・意味を確認し、宗教が単なる民衆支配の為の洗脳装置であることに気づく時節となっています。
( バチカン サン・ピエトロ大聖堂 )
さて、建速須佐之男命ですが、スサノオと大山祇(海運とお酒の神様)の娘:神大市比売の間に生まれたのが大歳神 (宇迦之御魂神=御稲荷さんのお兄さん )。
年末になると登場する神様ですが、これがなんと!
木星の神様!
一年ではなく、大年(12年)を司る神様だったのです。
12年、そう、十二支です。
この十二支に陰陽・五行の十干を組み合わせた60年が易学の一周期。
来年の干支(えと)は、壬辰(水の兄え:たつ)で弥生に閏月が入りますから、グレゴリオ暦4月21日〜5月20日が閏3月となり、長い春の年になりそうです。
さて一体、「 古代真正占星術 」は、いつどうやって、
西洋占星術と易学に分離したのでしょうか?
そして、その元はどこからやって来たのでしょう?
< 続く >
おまけ
【村田春樹】 何故天皇陛下はお忙しくなってしまわれたのか?【天長節】
「 宮内庁に出向する職員が出身官庁関連の御行幸を勝手に増やしておきながら、
『 お忙しいから宮中祭祀を削れ 』 とは何事か!」
本末転倒とはまさにこのことである。
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